出雲大社の気がヤバかった?件 その②


先日出雲大社に行ってきました。

 

相変わらずの気を感じていました。

 

『出雲大社は気が凄い所です』言いたいところ所ですが実際は、私の脳が出雲大社には神聖な気が流れていると捉えているからに過ぎません。

 

そのような臨場感に身を置いているからです。

 

しかし、ISの戦闘員にとっては異教徒の偶像崇拝しやがったケシカラン場所でしょう。きっと、手にしている武器で社を破壊するでしょう。当然、神社に神聖な気が宿るという臨場感を持っていません。

 

同じ人間でも脳(の情報処理)が違うので認識している世界は全く別もの。神社は神聖、方や破壊の対象です。一人ひとりが別の世界に生きているのです。このことに気付いていない人が自分たちの価値観が絶対だと戦争を起こします。また権力を持った人間が一つの価値観に纏めようと洗脳を仕掛けます。

 

さて、出雲大社では神聖な気が宿るという臨場感世界、もっと砕けた『雰囲気』に身を置いていたので、そこにホメオスタシス同調が働いたようです。手の血色がよくなり、元気になりました。

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※この辺がヤバい

 

なお気功も同じです。気があると確信している人には気功が効きやすいそうです。それは気功が効くという臨場感空間を術者と共有しているからです。

 

一方、病院はどうでしょう。先日まで父が入院していたので、ここは病気になった人や死ぬ人がいて邪気にまみれているという思い込がありました。その思い込みに同調して実際に疲れを感じていました。

 

しかし、これまた負傷を追ったISの戦士の場合は、ゆっくり休める場所、英気を養う場所としてむしろ元気がでる場所かもしれません。

 

また病院は新しい声明が生まれる場所なので、エネルギーに満ち溢れた場所かもしれません。

 

やっぱり脳(と心)が現実を生み出しています。

 

例えば、病院勤めだった弟が言うには、誰が見ても癌が重く、入院した人がいました。でも、その人は『自分は健康なハズで、なぜ自分がそこにいるのか分からない』と思い込んでいたそうです。するとなぜか不思議なことに溜まった胸水が抜けて元気に退院していったそうです。

 

反対に、誰が見ても元気だったけど、気持ちがマイナス方向に進んでいたので、ある時急変してそのまま亡くなってしまった人もいたようです。

 

これもその人の臨場感により、命までも左右されるということが伺えます。

 

どのような臨場感に生きるのか、それを主体的に選んでいくには抽象度を上げていく必要があります。

 

抽象度が上がることにより、目の前の物理的現実世界よりも高い情報空間にアクセスできるようになります。

 

物理空間は情報空間の写像なので、情報空間でいろいろと操作できるようになれば現実も変わっていきます。

 

出雲大社もそれまで何度も行ってきましたが、気功を習うまでは気を感じた事はありませんでした。でも抽象度が上がり、気功の情報場にアクセスできるようになったので、物理空間でも気を感じられるのです。

 

前にサクラダファミリアに行きましたが、そこでも不思議な気を感じました。今でもその体感を思い出す事ができます。

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※この建物に入った瞬間に外の世界との違いを感じました。

 

また昨年イビサ島に行きましたがそこでも凄い気を感じました。事実、帰国後一か月は体調を崩して、その後さらに感覚が鋭くなりました。

 

おかげで音楽を聴いた時に、その人の謳ったときの気持ちが感じられます。

 

もっと練度を上げれば絵を見ただけで作者の健康状態まで分かるようになるかもしれません。

 

実際に、気を感じて元気になればしめたものです。

 

お金情報場にアクセスできれば金運も上がるでしょう。

 

何よりコーチング情報場にアクセスできるようになったので素晴らしき方々に囲まれています。

 

これも抽象度が上がった結果であり、昔と比べて現実は変わっています。

 

その証拠がこの情報発信です。

 

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↑これも気功を使っています。

 

 


2017-03-16 | Posted in コーチング, 抽象度No Comments » 

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