抽象度と影響力、そして言語を超えたコミュニケーション

抽象度という概念があります。

この抽象度が高い思考の人は、改めて時空を超えて人びとの臨場感に影響を与えています。

抽象度とは包摂する情報量の大小または階層を意味します。

 

 

例えば、秋田犬がいるとします。抽象度を一つ上げればイヌで、一段上げれば哺乳類、さらに上は動物になります。

反対に一段下げれば、○○さん所のタローになります。上がっていけば行くほど情報量が少なくなり具体的ではなくなります。一方で、下がっていけば具体的な情報になります。

 

 

ただし、これを上げていくと潜在的な情報量が増えます。哺乳類は、イヌ、ネコ、サルを含みます。動物になると、ヘビ、サカナを包摂します。

つまり、世界をより高い視点で俯瞰して捉えられるようになります。抽象的な世界に臨場感を覚えられるという意味でもあります。

臨場感とは、五感でリアルに感じられる感覚です。

 

 

また高い抽象度を下に落とすと、その高低差から物凄いエネルギーが生じるとも言われています。

例えば、釈迦やキリストがその頭の中(情報空間)で高い抽象思考をして、物理空間という最も低い次元に落とした結果、経典があり、聖書があり、お寺や教会も存在しています。

 

他にも、釈迦やキリストの圧倒的に抽象度の高い思想(情報空間)から、周りの人々のそれよりも低い思考(情報空間)に落とされたエネルギーをもって世界を席巻しました。

縁起や愛の思想は今でも世界中に影響を与えており、それぞれの信徒はそれこそ世界中で莫大な数に上ります。

信徒の臨場感はもちろん、私もお寺や協会という概念を思い浮かべられますし、建物も目にするので臨場感に影響を受けています。

 

コーチングで言えば、コーチングをつくった故ルー・タイス氏。

人びとの可能性を信じて、世界中を良い世界にしていこうという抽象度。

 

この抽象度は、北アイルランドの紛争解決、南アフリカのアパルトヘイト解決に役立ちました。

余り多くは語られませんが、ルータイスの影響で、かの地での争いがなくなったと言われています。

それまでテロで爆弾が爆発したり銃弾が飛んできたりしていた北アイルランド、圧政に苦しんでいた南アフリカの黒人の臨場感は間違いなく変わっています。

コーチの集まりに行ったり、コーチ仲間と合ったりすると彼の名前や話が必ずでてきます。

 

他にも、バルセロナに行った時に、天才建築家ガウディが作った建物が市内のいたるところにありました。

ガウディは高い抽象度の持ち主だったのでしょう。

彼の頭の中にあった世界感が、物理空案に落とされた結果、サクラダファミリア、カサミラという人々を惹きつける建築物を生み出しました。

バルセロナ市民は毎日ガウディの建築を目にするでしょう。もはや生活という臨場感の一部です。

ガウディに憧れて建築家を目指した人は世界中に沢山いるだろうし、作品に影響を受けている建築家・作家もたくさんいるでしょう。

 

また、彼の作品はバルセロナ市はもちろん、スペイン自体に観光客をもたらしています。こう考えると物凄い影響力です。

私も、サクラダファミリアに行ってきました。外から眺めたら、『すげーなー』という言葉(セルフトーク)が出てきました。

その後、中に入った瞬間に、キリスト教徒ではない私でも、圧倒的なエネルギーを感じました。言語レベルを超えた、圧倒的な体感でした。

その体感をセッションの場で生かしているので、私もガウディから多大な影響を受けていると言えるでしょう。

 

別のケースでは、私のまわりに抽象度の高い先輩コーチがいます。その方は、いつも社会全体や世界平和レベルのことを考えています。

私に体感として、抽象度という概念を教えてくれた方です。

この方々の雑談のレベルは圧倒的に高く、いろいろと刺激になります。

人生の先が見えない時に、それまではネガティブなセルフトークが出なかったけれど、この方と目を合わせた瞬間に、『あっ、なんか今後は人生良くなっていくというセルフトーク』走ったのを覚えています。

また、『いいのよ、いいのよ』と言ってもらえた、かつ頭を撫でてもらったよな、例えるなら、それまでの過ちを赦してもらえたような不思議な感覚に包まれました。

この方はやはり周囲から物凄い人気です。その高い抽象度に吸い込まれるようです。

ゆえに情報発信をしなくても、この方のコーチングを受けたいという方が続出しているようです。

なぜ、こうなるのかはまた別の記事にまとめたいと思います。

 

他にも、先日ある会合にて一人の若者と出会いました。

その若者はまだ20台前半の女性。しかし、彼女が一度理想とする世界を語りだした途端、場の雰囲気は一変しました。

それはとても高い抽象度の高い世界、実のところそこには殆ど言葉がありませんでした。但し、その方から発信される情報は言葉以上のモノが詰まっていました。

その証拠に約30人、会場に集まっていましたが全員感動していました。中には涙を浮かべている人もいました。

私も言語化できない情報を受け取り、感化され今その件についての記事を書いています。

驚くべきことに、その会場は彼女を中心に回りだしました。いわゆるハイパーラポールです。

ハイパーラポールとは、影響力のある一人に向けて、多くの人がラポール(好意)を抱く現象です。

手っ取り早い方法は恐怖があります。恐怖の情動も、脳の情報処理のエラーで対象者にラポールを生じさせます。

しかし、そのラポールは一過性に過ぎません。ラポールを継続させるためには、次々と恐怖を与えていかないといけません。そうしないとネガティブラポールが生じます。

 

話は戻りますが、恐怖を超えたラポール生成法があるのだなと再認識させられました。

それが高い抽象度です。高い抽象度は当然個人ではなく、多くの人にとっての利点を内包しています。要するに、皆が嬉しいのです。

他にも、人間は社会的動物で今でも社会という群れで生きています。おそらくはDNAレベルで、個人よりも他人、それも社会レベルで皆が利点を享受できれば嬉しいという本能が刻み込まれていると推測します。

また人間どうし助け合っていかないと進化の過程で滅びに面してしまいます。

 

多分《利己的な遺伝子》と呼べるような特定の遺伝子があって、胎児期に脳が形成されるとき、そういう行動するような神経のネットワークを作るのだろう。そして、誕生後の人間関係や、しつけ、教育などの環境によって、それはさらに育てられ、強化されていく。

柳澤 嘉一郎 (著) 『利他的な遺伝子 ヒトにモラルはあるか』筑摩書房

 

さて、私もこの記事において、言語を超えた何かが伝わったと体験を書きました。言語をつかさどる左脳を超えた、右脳で心地よさを感じたのかもしれませんね。

ゆえに、何かをこちらが意図する情報を伝える際には、別に言語に絞らなくて良いなと感じました。

その意味において、抽象度の高い思考そのものが情報発信であり、言語レベルを超えた抽象度で伝わります。

その一例が、在り方であり、体現です。また先日メルマガでも書いた通りに、S〇Xも言語を超えたコミュニケーションです。但し、この場合は単に性欲を満たすレベルではなくて、愛を交換するレベルの抽象度的観点からの考察です。

人間には、生得的にそのようなコミュニケーション脳力が備わっているけど、成長や科学の発展とともに、それが逆にスコトーマとなっていると実感した次第です。

コミュニケーションに関して、少し余談ですが、人から相談をされた際に、自分の意見を押し付けるのではなくて、相手の話をありのままに受け止めてから、その後、相手がぎりぎり機会出来る、一つ高い抽象度からアドバイスを与えてみてください。

 

最後になりますが、抽象度を上手に使って(抽象度の上げ下げ)、社会に機能を果たして行きます。