自分の価値を落とすな、上げ続けろと、このブログで言い続けています。
私が今までコーチングを実施してきた人も含めて、そうでない人の中にも、なんでこの人はこんなに頭が良いのに、こんな世界に閉じこもっているんだという人に出くわします。
この手の人は頭が良いです。話してみれば直ぐに分かります。だけど、ご自身が頭が良く優秀であることに気が付いていません。
正確には、気が付かないように陥れられています。
ここで反論として、頭が良いだけでは世の中で成功しないよと言われそうです。その通りです。頭が良いだけではダメでしょう。
これを話すと今回の趣旨から外れますので省略します。
だけど、この手の人達は、自分が素晴らしい人間であるということに気が付いていません。いや、実際は薄々気が付いているのかもしれませんが、意図的に意識に上げないようにしているのでしょう。
とかく、日本では自己評価を高く持つことは、あまり宜しくないことと捉えられている節があります。
謙遜が美徳で、自分を目立たせない。これが結果的に、自己評価を低くしてしまうことに繋がっているのかもしれません。
また、この手の方々は、多少完璧主義的な傾向があります。つまり、いつまでたっても自分を不完全な人間として感じてしまい、そこに劣等感を抱きやすい傾向があります。
では、なぜこのようなことになってしまったのか。
その大きな原因が、しつけや教育です。
概して厳しく育てられた人が多いと感じます。また、もともと出来る子だったので、子どもの頃に本人が望まないにも関わらず、受験という競争に放り込まれてしまった。
そこで思うような結果が出せずに、ある時自分はダメな人間だという自己イメージが構築されてしまった人が多いと感じます。ダメな自己イメージがコンフォートゾーンになってしまったのです。
また一方で、イジメにあった人もいるでしょう。イジメは自尊心を破壊します。イジメられた側は、自分はダメな人間は自分のことをダメな自分だと卑下してしまう傾向があります。この自己卑下がコンフォートゾーンになってしまっている人も多数います。
こう思う必要はない。自分は自分が思っている以上に凄いということに気が付いてもらいたいと思います。
日本では概ね一つの価値観が絶対的に幸せだと信じられてしまいます。今は様々な価値観が認められる時代、好きに生きればいいと言われます。しかし、まだまだ旧来の価値観が幅を利かせています。
社会にはレールがあり、いい学校に入って、いい会社に就職して、何歳で○○をしてという風潮が未だに根強くあるように感じます。とくに地方はそうです。
上の人達は、本来は物凄いポテンシャルを持っているのに、この与えられた価値観に自分の価値を見い出しているので、自分がスゴイという感覚に疎いです。
例えば、男性では同期入社でも俺の方が給料が高い。あの人は学校の後輩だけど、元請に入った。
女性では私の方があの人より、年収の高い旦那をGETした。だけど、あの人の子どもは○○大学に入った。
このように他者との比較で、相対的に基準が変わる評価で一喜一憂しています。これだと優秀さを発揮するどころか、心の安定が図れません。いつだって戦国時代です。
比較の世界から抜けるにはどうすればいいのか。
自分なりの生き方を模索することです。その役に立つ方法がコーチングであり、ゴール設定です。
自分の幸せは自分で決める。それを他者に強制されずに自由で選ぶ。もちろん自由に選ぶ代わりに自己責任もついて回ります。
だけど、こちらの方が自身のwant toで生きていくので、他者から強制されるhave toよりも楽しいし、生産性も高いはずです。
Have toばかりにこだわるときついです。私は神経症になって学びました。あるキッカケで私と同じように苦しむ方々と交流を持つことがありました。
東大を出た人も、スタンフォード大学を卒業した人も、超有名大手企業の経理課の人も、アルバイトで子育てをしているシングルマザーの人も、超お金持ちのご令嬢も同じような症状で苦しんでいました。
職業や学歴は関係ありません。
その方々は、一概には言えませんが子どもの頃から我慢に我慢を重ねて体が過緊張となり、もともとあるエネルギーが滞る、または逆向きに働いてしまって、手を泡うのが止められないとか、変な妄想に脅される、周りの人が気になって目の前の出来事に集中できないという事態を引き起こしていました。
ほとんど全員自己評価が低かったです。
自己評価が低くて神経症になったのか、神経症になって自己評価になったのか分かりませんが、この二つが絡まり合い負の連鎖に苦しんでいるように感じ取れました
端から見ればスゴイ経歴の人々ですが、自己評価が低いゆえに完璧主義に走り、自分の素晴らしさを素直に認められないようでした。
この段階で自分を素晴らしいと認めたが最後、そこで成長が無くなるのでは。そうすれば自身の価値が無くなる、評価してもらいたい人(親)に評価してもらえなくなる。
だから完全でなければならないという強迫観念に苦しみ、それがコンフォートゾーンになっているように見受けられました。
別の角度から説明すると、逆の向きにアクセルを踏んで、だけど必死にブレーキを踏みこんでいる。悪い方向に一進一退しているようでした。
私の場合は、ちょうどこの頃苫米地博士の理論と出会い、症状は大分ましになっていました。しかし、自己評価を上げるにはどうすればいいのか認識できない状況でした。
というよりも、社会的に劣っていると感じていたので、劣っている奴が自己評価なんて上げていいわけないだろう分をわきまえろという心境が適切だったと振り返ります。
どういう訳か、そのように考えること自体、『甘え』のように感じていました。今思えば実にクリエイティブです・・・。
以上を振り返ってみて大切なのは自己評価を上げること。言い換えれば、価値を下げないということです。
最後に、とくに、心の底では自分は優秀と感じているのに、そう思ってはいけないとフタをしてしまっている人々へ伝わればと思います。
誰の手でもなく、自分で自分を正当に評価をしていいのです。