この世は自分が創っている
※今回は人によってはかなりぶっ飛んだことを書きます。
前回書いた、世界は実は一人だけだと感じた感覚について書きます。
まず、この世界は私しか存在しないと感じたのは小学2年生くらいだったと回想します。
一人でお風呂に入っており、その時、もしかして目に見えていない世界は存在していないのかもと直感的に感じました。
その時に、めちゃくちゃ寂しい感情を体験しました。直ぐに、上がって母親と弟の姿を見て安心したのを思い出しました。
強烈な寂しい感情だったので封印しました。
ちなみに、小学校2年くらいまでは、自分でいうのもなんですが感覚に優れていました、勝手に独自の言語をつくったり、作詞作曲をしたりしていました。
その他にも、幼少の頃に戦争があったという空想話を弟に信じ込ませたりしていました。なかなかの悪党です。
家から学校まで1.5キロくらいあるので、歩いている時間が暇だったので、暇な時間に空想にふけっていました。
しかし、小学校3年生くらいからイジメに遭うようになり、その感覚が無くなってしまいました。今日はイジメられないかな、大丈夫かなと心配するようになり緊張状態が続いて、感覚が麻痺したのだと思います。
人間は元来誰でも豊かな感覚を備えています。コーチングではこの緊張をほぐして、自然な感性を取り戻します。これゆえに、ゴールが見つけやすくなります。
あるコーチングセションにて
ちょっと話が逸れましたが、この寂しい感覚、世界で一人だけという感覚を感じたのが4年前。ある苫米地博士のお弟子さんのセッションを受けました。名前は明かせませんが、もう偉大過ぎる先輩です。※苫米地式コーチングという名称はまだなかったのかも。
確かに、いつもは違うパターンでこの方を直感で選びました。
セッションの最中に、この寂しい感覚を経験しました。スカイプでのセッションだったので、本当に絶対的な寂しさを感じました。30秒くらい沈黙が続きました。
その間に頭に浮かんだのは、目の前の人が幻想、また一人で世界にいるということ。それを子どもの頃以来思い出しました。
マジです。
だけど、同じくコミュニケーションの場として物理宇宙を共有している。
そしてこの世界は誰が創ったのか、それは未来の人間ではないかということに薄々感づきました。
その人は進化し過ぎた記憶という情報だけの存在です。だけど、寂しいし体も欲しいし、なのである時寂しいからビッグバンを起こして、仲間と共有した宇宙をつくったのではないか。。
そんな直感が降臨しました。
しかも完全にストーリーをつくって。だけど、ストーリは適宜変更可能。いろいろな手段を講じて未来への働きかけが可能。
そうすることにより、いろいろとプログラムされたパラレル世界へ移行可能で、縁起の書き換です。
だけどそれが認識できるのも、不可解な話ですが脳があるからです。私の人生も、生れて脳が出来、発達して宇宙を観測しているから存在します。
ちなみに、個人的には脳の神経回路網の配線が変わることで認識できる情報が変わると考えます。
つまりは、スコトマが外れる、新しい誰かに出会う、何かが生じるも抽象度が違うだけで全部同じことだと考えています。
まあ、最後は空に行きつくから同じといえば同じですが。ともかく全部脳内での情報処理の産物です。
分かる人には内部表現の世界だと考えてもらってもOK。
空に関しては内部表現の抽象度を上げまくった外側です。
それすらも幻です。余談ですが全ては幻と悟ってからの苫米地式コーチングだと思います。
幻であるからこその現状を超えたゴール設定。
目の前の人、世界は私の脳が生み出しており、それゆえ、私が死んだら、この宇宙はなくなるものと思われます。
つまりコーチングはおろか世界が無くなります。それは私が観測できないから。皆さんにとっては物理的にはあるかもしれませんが。
以上を一気にまくし立てて、ということは私が世界の創造主ですか?と聞いた記憶があります。
『そうだね』と返答が返ってきました。
だけど、先に説明したように共有世界でもあるので、創造主だからといって好き勝手な振る舞いは出来ません。
例えば、誰かを殺せばルール違反です。ルールを守れない人は、情報の世界でも、この物理世界でもアウトです。例え、存在が幻だとしても、全てのモノや人には役割があります。
と守秘義務の関係と、記憶があいまいで貞かではありませんが、そのようなことをコーチから教えもらったような気がします。
要は、天に向かってつばを吐けば、つばが降ってくるということです。因果応報がこの世界の原理原則です。
この辺のことは苫米地博士の『苫米地英人、宇宙を語る』という本に詳しく書いてあり、コーチングのセッションとセッションのインターバルに、併せて『幻想と覚醒』をもう一度読んでねとアドバイスされました。これは覚えています。
今思えば、まあ、俺がつくった世界だからどっかに書いてあるわなという感覚です。
先に直感でアイデアを下しておいて、後で辻褄を合わせる論拠を見つける。如何にもありそうなパターンです(笑)
まさに自作自演です。
だけども、確かに一瞬でその様に感じましたが、すぐに目の前の生活の臨場感に持っていかれてその世界観が意識から離れていきました。至って普通の、自己紹介にある生活に戻りました。
これも織り込み済みだろうて。
ちなみに、この方のコーチングを受けてから不思議なことが起こりました。また、詳細は後日書くかもしれません。
今思えば、まさに超情報場仮説(詳細は書けない)です。
あれから4年。昨年コーチングを受けて、再びこの感覚を思い出しました。
この圧倒的な体感こそが本来の苫米地式。これぞスコトマ外し。
優れたコーチは圧倒的に高い抽象度から、クライアントの内部表現を瞬時に書き換えるの良い例です。
飛天御剣竜 九頭龍閃を彷彿させます。
もちろんさらにすごい世界はあるのだろうけど、まだ当時の自分のレベルが追いついていなかっただけで。
もちろん私もさらに高みを目指します。
さて、話は元に戻りますが、未来人は結構暇です。誤解を恐れずに言えば、退屈しのぎに、斎藤貴志ゲームをシュミレートしたのでしょう。そんな気がします。
完全な世界に生きているので。
分かる人には分かる、だけど分からない人には絶対に分からないであろう感覚です。
コーチ仲間でも???という反応の人が意外といます。
しかし一方で、同意してくれる方(コーチを含む)もいます。
ただ、面白いことに宗教や学問の裏付けからひも解いて結論に結ぼうとしている人もいれば、私と同じようにまずは感覚からで、次に辻褄合わせの資料を探して方もいます。
演繹か帰納の違いですが、この点が面白いです。
心当たりある人、情報場でなんか約束したっけ?(笑)
というか情報場そのものも自分のような気がします。
ちなみに、このことを体感しいる人に悩みを相談したら、『そっけなく悩むの止めたら』と返ってくる事でしょう。
そんな感じで、今日もクライアントさんの情報場を書き換えています。
最後に私の死後も世界があるかないか問題ですが、正直なところあってもいいし、なくてもいい。みんなで楽しんでねという感覚です。
だけど、この記事を書いていたらまた寂しくなってきました・・・。
やっぱり人の輪に入りたい。とするとまたビックバンを起こすことでしょう。
まとめ
・こんな世界感もある
・真相は如何に? ゲームオーバーの前に科学による真相究明を期待!
春の応援企画として 久しぶりのメールコーチング
上記のメールマガジンを購読いただけた方で、ご希望の方はメールコーチングをおこないます。
1週間はメールでのご相談を3往復までお受けしております。
ただし、既にお受けになった方は、恐れ入りますが見合させて頂いております。
何かお困りの方は、ご連絡いただければ幸いです。
実は、私にも経験がありますがメールだけでも内部表現が書き換わり、エフィカシーが高まります。その体験をしてもらいたいと思います。
本来は20,000円で提供しているプログラムです。期間限定ですので、この機会にぜひメールコーチングを体感ください。
なお、本メール相談において売り込み等はありませんのでご安心ください。
苫米地式コーチングは売り込み禁止です。