今日の悔し涙は、明日の嬉し涙

今日の悔し涙は、明日の嬉し涙

セッションでは多くの涙に遭遇します。

 

きっとクライアントさんがそれまで、押さえつけていたタガが外れたのだと思います。

 

自分は○○では無ければならない。もっと、○○しなければならない。

 

そうでなければ誰からも愛されない、認めてもらえないという恐れや不安があります。

 

確かに、人から認められるのは嬉しいことでもあります。その気持ちはよく分かります。

 

しかし、ここで気を付けなければならないのは、「私」が自分のことを認めないと永遠に心の底では嬉しくありません。

 

かつて、ある女性が言っていました。男性達に、「綺麗だよと。可愛いよ」と言ってもらえたら嬉しい。プレゼントも貰えればやっぱり嬉しい。

 

だけど、その嬉しいのは一瞬だけで、すぐに落ち込むと言っていました。

 

この方の話しぶりからは、本当は私が私のことを好きになれればいい、ありのままのわたしを認めればいい。

だけど、どうやってそれをしていいのか分からないという心が見えてとれました。

 

いや、本当は「私」のことを自分で評価すればいい、価値がある人間だと思い込めばいいとは、気づいてはいるようでしたが、それができない。

 

そう思うこと自体、悪いことのように感じる。

 

エフィカシーという概念があります。コーチングでいうところのゴール達成に対する能力の自己評価を指します。

 

このエフィカシーは自分で評価する、他人の評価は一切関係ないと伝えます。だけど、この言葉を聞いて、以外に多くの方が目を丸くします。

 

「私」の評価は他人が決めるものでしょ? そんなことをしたら天狗にならない? 空気が読めない人間、痛い人間だと思われて、結果的に「私」の評価を落とすことに繋がらないかと心配をされます。

 

実際は、そんなことはありません。仮にあったとしてもエフィカシーが高まれば気にならなくなるのですが。いかんせんそう思うことはいけないと無意識レベルにインプットされています。

 

日本は狭い国土に、多くの人間が密集しています。なので、非言語で伝わるホメオスタシス同調により、一つの価値観だけが信じ込まれやすい環境にあります。

 

また、地形的にも島国なので逃げ道がない。異端な考えは、村八分にされ、好むと好まざるを得ずに、生まれる前からそこで信じてこられた価値観を信じるしかないという環境に置かれてきました。

 

それが常識となり、世間であり、ある意味伝統にもなっています。

 

テレビ、雑誌、インターネットの世界でも一つの価値観を広める傾向があります。その反面もありますが。

 

これらの裏の役目は、人々の間位に不安を埋め込んで、その不安を解消するための商品を買わせることです。また、為政者が人々をコントロールしやすくするためです。

 

その策に掛ってしまって、常識から外れてしまった「私」はダメな人間だと落ち込んでしまって、価値を下げているのです。

 

情報は取捨選択しましょう。

 

一方で、常識に近い所にある人もまた、常識に苦しめられてがんじがらめになっています。

 

本当は、○○したいけど、世間体もあるし・・・といった具合に。

 

どちらにも共通するのは、本人の望まない価値観で生かされているということ。

本質的に、人間はそれから解放された自由(free)を求める、言い換えれば、自分なりのしたいwant toを求める生き物でもあります。

 

根本レベルでは、価値観を抑えつけられたくはないものです。押さえつけられれば、have toを感じて、与えられた△△はしたくありません。生産性も、創造性も芳しくありません。

 

脳力の使い方としては非常に非効率です。

 

というよりも、他人から基準を決められて、それに合っているのか合っていないのかで自己評価がいちいち乱高下して、心が不安定になること自体、屈辱的なことではないでしょうか。

 

言葉が悪いですが、奴隷が狭い折の中で、俺の足かせの方がでかい、いやこっちが最新式だと優劣を競うのと本質的には何も変わらないような気がします。

 

少なくと、この記事を読まれた方は思い当たる節があるのではないかと感じます。

 

さて、一番最初に上げた涙はそれを解放する一歩です。この涙が、心の底に押し込んでいた本当の気持ちに気づく手立てとなります。

この本当の気持ちに素直になり、人生を構築されていうことをお勧めします。

 

また過去の起こった出来事自体は変えられません。仮に、催眠などで無理やり押し込んでも、無理やり押し込んだ感情は、神経症として体を蝕みます。

 

ただし、未来はいくらでも創りかえることができます。その理由は、別の記事で書きました。

 

簡単に言うと、未来は様々な可能性がある中から自由に選べるということです。未来が決まれば、今の評価も変わります。

 

他人から刷り込まれた価値観によって一喜一憂していた「私」も、望む未来を迎える、今この瞬間が最高の「私」となります。

ココで大切なのは、自分が望み、自分が好むオンリーワンの世界なので、他人の評価は一切不要です。

 

かつ、今この瞬間も最高の「私」です。例え、あたりを見回してみても変わり映えしない日常、勘弁してほしい日常であっても、その先に臨む未来が来るのなら最高の「私」です。

 

最高であるというマインドが最高の未来を創っていきます。

最高の未来からの自分から、giftが投げかけられると考えてみてください。giftに気付く感受性が高まり、直感や無意識の選択が冴えてきます。

 

また最高マインドを別の角度から説明します。

人間も素粒子に分解できます。この素粒子は振動して波動となっています。この波動が磁石となり、波動に相応しい出来事、人を引き寄せます。

 

最高の波動には、最終的には最高の出来事が、同じく心配の波動には心配がご縁となります。

最終的がポイントです。最高の出来事が訪れる前までに、一時的に後退する様な出来事が起こる可能性もあります。簡単に、言えば好転反応です。

 

ドブ川を綺麗な川にする際には、一時的にヘドロを取り除かなければなりません。その過程で、一旦ヘドロが流れてきますよね。

だけど、ヘドロが流れてし合ったら綺麗な水だけが流れてくるのと同じです。

諦めないでください。

最高の選択には、いつだって最高の人生しかありません。

この事がさらに詳しく知りたい方は、別の記事にヒント(関係性、縁起)が散りばめられていますのでご覧頂ければと思います。

 

何はともあれ、今日の悔し涙は、明日の嬉し涙に繋がります。

 

最後に、 私には価値がある、そう確信した瞬間から、眠っていた力がよみがえり、起こる出来事、人生そのものが変わっていきます。