苫米地式コーチングを知るはるかはるか昔のお話。
無意識にゴール設定をしていたストーリーを語ります。主人公は僕です。話は中学生の頃にさかのぼります。
※今回はマニアックな表現箇所いろいろと出てきますがご了承ください。
前にもブログで書いた通り中学生の1年生の2学期から不登校だった僕、斎藤貴志は2年時から再び学校に通いだした。ただ、不登校の間は全く勉強をしていなかったので、当然学校に行っても勉強についていけなかった・・・。
ひたすら席に座っているだけの毎日。50分の授業が苦痛で仕方なかった。当時は、体罰は普通で、答えられなかったらビンタの世界。グーで殴られるよりマシみたいな。よって、社会科と体育以外(持久走を除く)と給食の時間以外(笑)は地獄でした。
成績は最悪で、今だから言うけど某K中学校当時120人くらいの中で、成績はドンケツに近かった。僕以外は、何らかの理由でテスト受けていない人たちだった。
当然、いける高校はないと当時の担任から言われた。
正確には、面談で「どこどこ高校に行きたい」と言ったら、「バカを言ってはいけない。お前の成績で入れる高校なんてあるわけないだろうと」と言われるくらいの学力だった。ついでに言うと、恥をかかせやがってと母親からもビンタを喰らった。
そんな折、夏休みを迎えた。
ある暑い日、父親に連れられて鳥取県の境港へ出かけた。目的は、海上自衛隊の船(護衛艦)に乗るためだった。僕の住む街では見ることのない大きな船が岸壁に留まっていた。
14歳の僕は、初めて乗るその灰色の船の虜になった。マストの上で、レーダーがクルクル回るのと、白い制服に身を包めた水兵さん達がキビキビとロープを引っ張っているのが新鮮だった。
当時は、テレビを付ければ、出てくる俳優はほとんど若い男性はロン毛で脱力な感じだった(今思えば、テレビによる印象操作だが)。この脱力な感じが当時の僕には合わなかった。(全くの余談だけど、そんな風潮に嫌気がさした当時の若い人がオウムに入ったらしい。その後、そのオウムと闘った人との縁起が繋がるとはね・・・)。
そんな風潮に嫌気がさしていた僕にとって、ブリッジ(船を運転するところ)で、ハンドル(舵)を握り、双眼鏡で見張りをこなしていたいた、僕より一回り大きなお兄さんたちが超カッコよく思えた。
後ろを振り返った瞬間、太陽の日差しと航跡(船が走った後の足跡みたいなやつ)と風になびく海上自衛隊の旗を視界を捉えた瞬間に「これだ!」だと感じるものがあった。
※アイキャッチ画像のようなイメージ
無気力な僕にゴールが見つかった瞬間だった。
「僕も将来海上自衛隊に入りたい」そう思った。
1995年 7月某日
島根半島 美保関灯台沖 横を観れば鏡のように反射する海面にトビウオが飛んでいた。
未知との遭遇で急に世界が拓けてしまった。
続く
お茶会のご案内です
1.大阪 10月18日(日)15:30-17:30(途中退席は自由)
参加費500円
場所は、十三周辺
2.名古屋 10月25日(日)10:00~12:00(途中退席は自由)
参加費1,000円(飲食代は別途ご負担ください)
場所は、名古屋駅周辺でおこないます(詳細は、参加者に個別でお伝え致します)
佐藤星児コーチとの共催です。
内容としてはゴール設定。エフィカシー等々コーチングに関するお悩み等ならご自由です。
コーチと場を共有することで、ゴールに向けた臨場感を感じてください。
言語や非言語にて参加者に働きかけていきます。
お申し込みは、このブログにてお願い致します。