自信が極端に低いころの話 エフィカシー

2015-10-12

一昨日の夜に、「思い出のマーニー」というジブリアニメを観た。心を閉ざした主人公の女の子に、何か感情をえぐられたのか抑圧されていた過去が急に思い出されたので記事にしてみよう。

自分には無理だ。いつの頃からかそういった考えが頭を占めるようになってき。肝心のところで、いつも逃げる道を選んできた。

極端に自信がなく、もうこれ以上傷つきたくない、自信を失いたくないという思いがあったのだろう。何かに挑戦するは良いけど、一度失敗しただけですぐに諦める癖がついていた。挑戦できればいい方で、ほとんどはチャンスが転がっていても「自分には無理です」と言い訳をしていた。

また、人と比べては「あの人よりは優っている」と思い優越感を感じたり、反対に、「劣っている」と感じたりしては劣等感に浸っていた。基準は外にあった。そこに自分はなかった。ついには劣等感とそこからくる「ねばならない思考」ゆえに、思春期には神経症に苦しむことになる。(そんな時に無意識に効いていた曲が以下↓)

原因は「他人からどう思われるかを考えなさい」、「あなたには無理だね」と言われ続けてきたからだろうか。誉められたこともあったかもしれないがあまり覚えていない。否定的な言葉に埋もれていたので、それが臨場感を形成して私の現実をつくっていった。(こんな感覚に苦しんでいる人は意外と多いらしい)。ネガティブループの中で暮らしていた。

そんな中でも、順調に何も心配することなく生きていける場面があった。しかし、いざ問題がおこると、自信がないゆえに土台が弱く一気に順調が崩壊してしまった。順調はエアポケットに埋もれてしまっていた。言い換えれば、不安で自信がないのがデフォルトだった。

今思えば周りには同じような人が集まってきていたと思う。「類は友を呼ぶ」だ。自信がない人が、これまた自信のない人を引き付けると、ますます自信のなさが臨場感を増す。「私も自信がない」と言われると「なんだこの人も一緒なのか」と安心してしまいコンフォートゾーンと強める結果となった。また、こういった付き合いはネガティブループを形成してしまっていた。が、居心地がいいゆえに離れられなくなってしまっていた。

今思えばせっかくのチャンスだと思うことも、無意識に上にあげたコンフォートゾーンに戻ってしまった。例えば、TPIEというセルフコーチングのプログラムを受けた。もちろん、効果は抜群にあった。しかし、エフィカシーが上がった私に対する周囲の言動は、まさしくドリームキラーそのものだった。「社会性に欠ける」、「おかしい」とか言われた。

今思えば、それだけ効果が証明されたということなのだが、周りとの人間関係を壊したくないという考えのために、ドリームキラーの言葉を受け入れてしまった。正直に言うと、コンフォートゾーンから抜け出せなかった。さびしい思いをしたくなかったからだ。

気が付いたら、コーチング用語は知っているけど・・・実装出来ていないという大変残念な状態にあった。
「コーチングは理論としては素晴らしいけど、結局、絵に描いた餅じゃん」みたいに次第に思うようになってしまった。ただ、自分がやることをやらないでいただけなのに。

結果、せっかくのTPIE効果も台なしになった。台なしになって言われた言葉は「昔はヤバい人だと思った。けど、今は斎藤さんが普通になって良かった」だった。今思えば、誰のために生きていたのだろう。この人たちを安心させるために生きていたのだろうか。

続く

17歳の頃いつも聴いていた曲