他人から操作された自分を拠り所にしても仕方がない

他人から操作された自分を拠り所にしても仕方がない

前回体調を崩した時に、『自我なんて無い』を体験したと書きました。

 

つまるところ自分は他人との関係性の産物。

 

自分の行動の規範となる自己イメージも言葉から成り立ちます。

 

これは日本という国に生まれて、両親や親戚学校で習いました。ともすると他人や国家権力から埋め込まれたもの。

 

ある意味、自分の思考は、意図的に他から埋め込まれ操作されている疑いがあります。

 

実際のところ自分自身、誰かの猿マネ。

 

自灯明法灯明 自らを拠り所として、法を真理として生きろと言われます。確かに、このブログでも書いてきました。

 

しかし、その自分も他人から操作された自分であることが否めません。それを拠り所にしても仕方がありません。前提からして間違っているかもしれません。

 

このように書くとすごくネガティブに聞こえるかも知れませんが、今一度、自分をつくっている信念(情報)は何か? 手繰ってみることも必要です。

 

そして、自分を構成する関係性を疑い、振いにかけるというintelligenceインテリジェンスの作業が求められます。

 

その基準の一つはゴール。ゴールから観て、その価値が合致しているか否かが一つのポイント。

 

但し、気を付けないといけないのは他人から埋め込まれたwant toではなく、自分にとっての真のwant toであることは言うまでもありません。

 

毎回毎回コーチング理論は奥が深いなと感じる今日この頃です。

 

正直言うと、自分は何も分かっていかったと感じされられることが1ヶ月に一回程度あります。

 

 

一つはブログで情報発信をしているからでしょう。

 

ブログを書き始めた頃は、一体いつまでネタが続くんだろうと思いました。しかし、書き続けていくうちに、新たな発見が多々あります。

 

書きながら自分でも気が付かないうちに、抽象度の階段を上っていったのでしょう。

 

例えば、ルータイスの『アファメーション』という本を読んでも、毎回違う本ではないかと思うくらい新しい発見が一杯です。最初に呼んだ頃とは違い、全く別本です。

 

今後ももっと新たな発見がありそうで楽しみです。

 

正直なところ、たまに古本屋で同本が売られているのをみると、なんともったいない、この本を売った人は人生捨てたねと感じざるを得ません。

 

他には、コーチングに関しては優秀な方々から学ぶ機会があるからです。

 

やはり理論や技術は人から人へ継承されるもの。本やDVDで学べることはあくまでも顕教。密教の部分は、人と人との関係性でしか掴めない。体感、情報量の次元が違います。

 

そして、打ちのめされます(笑)。

 

また優秀な方ほど、例えば、コーチングについてであれば、コーチングについては直で教えません。その方の姿・振る舞い一挙手・一投足から学べといった具合です。

 

掴みとれなかったら自分の力量が足りなかっただけ。

 

こちらの力量さえ上がれば、目の前の人が全員、無意識の動きを教えてくれる先生となりえます。

 

もっと向上したいですね。