ある武術の達人曰く、一番強い人は、物理的に目茶苦茶強いのではなく、『相手を戦う気にさせない』のだそうです。
※物理的にも目茶苦茶強いです。
戦う気にさせないのは、恐怖を与えて戦意を喪失させるのではなく、戦意そのものを奪う、牙を抜いてしまうのだそうです。
達人が気を放つと、対戦相手は何をされたのか分からないうちに『別に戦わなくてもいいじゃん』という風に気が変わってしまうのだそうです。
向かってくる対戦相手の無意識を書き換えてしまうのです。対戦相手の無意識への介入です。
相手が持つ『争い』というレベルの思考を、より高い抽象度から書き換えて、『いや、そもそも戦わなくていいじゃん。最初から仲良くすればいいじゃん』に換えてしまうのです。
言語は使わずに非言語です。
達人は気が強い『情報身体がデカい』ので、対戦相手の臨場感を取り込んでしまったのでしょう。
また、達人がちょっと明かした先には『愛』という言葉がありました。
きっと愛の気、つまり『愛気』が放たれたのです。
また合気とは気を合わせるのではなく、気を合するのだそうです。合するとは一つにすること。
達人と対戦相手の気を一つにするという風に解釈できます。
愛気を合気したのです。
気を合することにより、対戦相手のゴールから導き出される『争い』が、抽象度高くゴールが引き上げられることにより『そもそも、戦わなくてもいいじゃん』に変わるのです。
これは武術というより、もはやコーチングです。
というよりも、コーチングもある意味、武術かもしれません。実際に、私たちコーチは古武術を習います。
コーチもクライアントの前に相対します。そして、優秀なコーチほど、クライアントのゴールと合して、高い抽象度から書き換えます。大切なのはクライアントのゴールに合すること。
余談ですが、たまにコーチングとはクライアントのゴールと、コーチのゴールを合わせることだと勘違いしている人がいますが違います。100%クライアントのゴールの為です。
さて、優秀なコーチは、上の武術の達人と同じく、相対する相手、クライアントの気に合して無意識に介入します。
介入した結果、『自分にはゴール達成なんて無理』と、諦めていたクライアントのマインドが『良く分からないけど、上手く行く』、『理由は分からないけど上手く行くに違いない』という心持に変わります。
エフィカシーが高まります。
そんな馬鹿な!と思う方もいるかもしれません。
しかし、あなたも『なぜかこの人といると元気になる』という人がいませんか。これは同じく、その人によってあなたのマインドが元気になるように、無意識のうちに介入されているのです。
基本それと同じです。
コーチとの場の共有は、そのスケールが大きくなったものだと解釈してください。
なので、優れた武道家が対戦相手の戦う気をなくさせるのと同様、優秀なコーチほど、クライアントが『自分には、ゴール達成なんて無理』という風に思わせなくするのです。
そして、コーチのことを思いだすと、それだけでエフィカシーが上がる。アファメーションとして君臨するのです。
そこにも『愛気』があり、それはクライアントのゴールを確信することなのです。