『苫米地式コーチング』VS『苫米地主義コーチング』


昨日、CEラジオに出演させて頂きました。

 

これは日本にいち早くコーポレートコーチングを導入しようと、日夜励んでおられる㈱コレクティブエフィカ―シーさん主催のコーチングに関する番組です。

 

その中で、一点私が言い忘れたテーマです。

 

それは『苫米地式コーチング』VS『苫米地主義コーチング』

 

おっ、何が始まるんかいという(笑)

 

さて、苫米地式コーチングの世界では、どうやら二つのタイプに分かれているような気がします。

今後このようにシフトしていく予感がします。

 

一つ目は、苫米地式コーチング。これはコーチ養成講座などで学べます。

 

多くのコーチは基礎をしっかりとここで学び、皆さん自分なりに腑に落としていきます。セッションでの実践や自身のセルフコーチングを通じて技術の向上を図っておられます。

 

クライアントのことを考えて、どうすればいいのか日々技の研鑽に励んでいます。

 

目指すはクライアントのゴール達成のみ。

 

好奇心旺盛な人はココからさらに、独自の得意技を身に付け、自分の技術としてアレンジしていきます。

 

イメージとしては、Jazzに近いのかもしれません。

 

例えば、山中千尋と上原ひろみが『虹の彼方へ』(Over The Rainbow)を弾くと想像してください。

 

両方とも、全く違う曲に聴こえるけど、どちらもサビの部分を聴いて、これは『虹の彼方へ』であると分かります。

※ちなみに、今回の記事の書き方が山中千尋さんの著書『ジャスのある風景』みたいなのは気のせいです(笑)

 

少し例えが分かりにくいでしょうか。

 

コーチングで言えば、私の場合、多くの苫米地式認定コーチと、若干のスタイルは違うでしょうが基本は同じです。

 

もちろん守破離を意識したうえで、守の部分をしっかりした師から、学ぶことが必須です。

 

もう一つは、苫米地主義コーチングです。

 

苫米地理論、タイスプリシプルのとおりでならなければならない。博士やルーの言っている意味が分からないのは『お前が馬鹿』だから主義です。

 

コーチングセッションそのものよりも、クライアントのためよりも理論の完璧な一致に力点を置いています。

 

勝手ながら音楽では、クラシックの様なイメージと推測します。(間違っていたらごめんなさい)。

 

島根では安来節しかないので、クラシックに関してはよく分かりません(笑)が、何でもクラシック音楽は、基本誰が弾いても同じでなければならないそうです。

 

あるJazzバイオリニストの本からの情報では、厳格なクラシック奏者にとっては、クラシック以外は音楽ではないと見做すそうです。その方は、そのような環境で育って嫌になって、Jazzの世界に飛び出したそうです。

 

ともかく元に忠実です。

 

元に忠実であれば安泰的な。

 

もしかしたら、オリジナルが完全に全く同じ理解をしろと言っているのかもしれませんが。

 

あとたまに、苫米地博士の本に書いてあることをただ単に、右から左に流している人がいますが、それはもう一つ低い次元です。ココでは関係ありません。

 

 

さて、これらはどちらが良くて、悪いの問題ではありません。

 

優れた抽象度の高い理論には良くあるパターンです。

 

押しなべて、苫米地式コーチング理論は圧倒的に抽象度が高いので、当然複数の解釈が成り立つと考えられます。

 

他の例としてはマルクス経済学。

 

これも専門ではないので、もしかしたらこの説明は間違っているかもしれません。資本論や共産党宣言をどうやって読み解いていくのか問題です。

 

経済に力点を置いた視点がマルクス経済学。どちらかと言えば、マルクス経済学の考えを実装して社会・経済を良くしようとしていこうという考えらしいです。

 

マルクスの教えを上手に応用して、社会をより良く、経済を発展させていこうという考えだそうです。

 

 

もう一方がマルクス主義経済学。これは経済の発展や実装よりも、イデオロギーや思想そのものが重要。

 

経済に活かすよりも、マルクスの教え(主義)を忠実に守ろうという考えです。

 

しかし、あるマルクス主義経済学者が言うには、『マルクスやレーニン、その後のスターリンに依拠すれば安心であるという考えていた』そうです。

 

だけど、後年はその教えに疑いもせずに酔っていただけで、つまりは自分の頭では考えていなかったと反省されたそうです。

 

 

ちなみに、この二つの考えが相容れることはなく、後々まで対立していたそうです。

 

これも抽象度が高かったために生まれたものと考察します。

 

さて、このような分類や対立はどこにでもあると思います。

 

寿司に例えると、将軍のお膝元で採れる江戸前だけが本物。それを応用したカリフォルニアロールは邪道。

 

はたまた古来より、戦争で使われる例として、我が民族は神の高配を賜った栄光ある民族。それ以外は異教徒。

 

みたいな考えです。

 

私としては、寿司に関しては抽象度をあげて、どちらでも美味しければ良いじゃんと思います。

 

ましてや、民族問題に関しては抽象度をあげれば、同じ人間じゃんなのですが・・・。

 

何にせよ、抽象度をあげて考えることが大切ですね。

 

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2016-07-04 | Posted in コーチングNo Comments » 

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