広島県に本社を置く自動車メーカーマツダのお話です。
H部長はプロジェクトチームに引き抜かれた。
理想のエンジンを、世界一のエンジンをつくるために召集がかかったのだ。
先行開発部が携わっていた超圧縮エンジンの理論が必要とされたのである。
このエンジンが完成すれば、エネルギー効率が改善できエコにも繋がる。
超圧縮エンジンについて、通常は1:10のエンジン圧縮比を、1:15にまで持っていくという話は前に書いた。
高性能車でも1:12が限界で、それ以上高めても、エンジン出力が高まるどころか、逆に下がってしまう。
最悪エンジンが壊れてしまうという常識が100年間信じられていた。
さらに、また、ノッキング現象も生じてしまう。ノッキング現象とは、圧縮されたガソリンの一部がバラつき、燃料出力がコントロール不能となる。
その結果、自己着火してしまいシリンダーが溶けてしまう。つまり、エンジンが焼け付いてしまうのだ。
まずは、本当にそうなのかとH部長を始め、技術者たちは常識を疑うことから始めた。結論から言えば、それは嘘だったということが判明した。
100年間の間、真実はスコトマに隠れていたのだ。
「つくづく、常識に囚われてはいけないと思った」「この技術の先にパラダイスがある」とある技術者は振り返る。
圧縮比13までは出力がいったん下がるが、なんとそれ以降は横ばいするのだ。圧縮比15でも出力は横ばいだった。
人類が初めて遭遇した未知の世界でもあった。
ここまで来たら、ノッキングを抑えることが至上命題だ。
「ボーリングの一番ピンを狙え」 H部長は部下たちを激励した。
ここが急所だと狙ったところに一点突破で全勢力を注ぐ。ココを制すれば、後は一気に解決するのである。
プロジェクトチームと技術者たちは夜を徹して、それこそ全身全霊で対ノッキング策を考えたのである。
後日、マツダの技術者に直接、この時のお話を聞く機会を得た。
「あの時は、もうやるしかないという気持ち。背水の陣で臨みました」
「本当に持たざる者の知恵でした」
と当時を懐かしく、そして誇らしく振りかえっていた。
社運を賭けた闘いで、絶対に負けるわけにはいかない。
その甲斐あって、ついにノッキング現象を封じ込めるための技術も開発した。
こうしてエンジンの高圧縮化は大きく前進した。この技術がものになり、エンジンはより小型化され、エネルギー効率も飛躍的に改善される。だんだんと理想のエンジンの形が見えてきたのである。
このエンジンは のびのびエンジン と呼ばれた。
エンジニアには、従来の組織的または個人的な常識にとらわれることなく自由な発想でのびのびと開発に取り組んでほしい、さらには、エンジンそのものが”こういう風にのびのび回れるようにしてくれ”といわばエンジニアによく聞いてほしいという想いから、のびのびエンジンと呼んだ。
羽山信宏著 「つくりたいんは世界一のエンジンじゃろうが!」B&Tブックス日刊工業新聞社 P48。
従来の組織的または個人的な常識にとらわれることなく自由な発想でのびのびと開発に取り組んでほしいという思いと、
最初は人のマインドの中、つまり情報空間で物は姿を現す。その後、タイムラグを生じて、物理世界に表れる。
まず最初に変えるべきは人のマインドなのである。
ただし、何でもかんでも表れるという分けではない。愚直に諦めずに、エネルギーを注いだ分だけ表れる確率が高くあるのである。
I(想像力)×V(臨場感)=R(現実)ということを如実に物語っている。
プロジェクトチームの士気は旺盛であった。
続く
参考文献
宮本喜一著 『ロマンとソロバン』 株式会社プレシデント社 2015年
羽山信宏著 『つくりたいんは世界一のエンジンじゃろうが!』 B&Tブックス日刊工業新聞社 2014年。