食わず嫌いと情報場の書き換え

食わず嫌いと情報場の書き換え

今日FBの投稿を見て、昨年京都でセミナーを実施してから丁度1年であると表示されました。

 

早いような長いような。

 

さて、セミナー自体はとても楽しかったです。

 

また、そう言えばその時まで京都には約10年間行かず仕舞いでした。

 

いろいろと挫折を味わった街。

 

苦い体験があるためか新幹線で通過することは会っても、決して立ち寄ることはありませんでした。

 

無意識のうちに避けていたんですな。

 

そんな中、たまたま昨年京都でセミナーをしようという流れになりました。

 

胸に何かがつかえる感じがありましたが、エイヤッと電車に乗りました。

 

実際に訪れた京都は、『何でもっと早くここに来なかった』のだろうと思うくらいとても素晴らしい街でした。

 

過去を思い出すことはあっても、辛いことではなくて、楽しかった思い出に変わっていました。

 

正確には、過去よりも新しい仲間と織りなす、未来からの記憶の方がインパクトが強く上書きした感じです。

 

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情報場の書き換えです。

 

かみ砕いて書くと、私の京都への認識が変わったため。京都と私の関係が書き換わったのです。

 

関係性を書き換えるという、知らないうちにコーチング的なアプローチをしていました。これもセルフコーチングか。

 

一方で抽象度の低いアプローチもあります。それは過去の私のように物理的に接触を避けるという方法です。

 

これも一つの方法ですが、ちょっともったいない気がします。

 

受験勉強に例えると、勉強が苦手な子に解法パターンを一つずつ教えるというやり方です。

これだとやらされている感が高いので、なかなか成績は向上しません。

 

それに対して、抽象度の高い働きかけは、自分とそれを織りなす関係性そのものを書き換えます。

 

京都と私の関係のように、関係性をそのものを変えます。京都と言う街自体は、物理的に10年前とあまり変わりません。しかし、関係性が変わったので、私にとっては全く新しい街。

 

いろいろと見えて来るモノ自体が違います。

 

受験生との関係では、辛い受験勉強を楽しいものに変える。

楽しいことなので勝手に解法やテクニックを編み出し、志望校への合格はもちろんその過程も楽しみます。

また別にゴールと関係なければ、受験そのものをしなくて良いのではないかと関係を解消することもあります。

 

抽象度の高いアプローチをすれば、ぱっと見て物理的には何も変わらないように思えますが、見えない関係性は変わっています。意外とこのあたりがスコトーマです。

 

極端な例をいうと、辛い人生でお先真っ暗の人が、最高の人生で希望が見えるにさえ切り替わります。体験者としてよく分かります。

 

関係性が変わると不思議なことが起こります。

 

私の場合、京都が解禁になった途端に、京都でセミナーをしようとか、京都へ遊びにおいでというお誘いが増えました。結果、一年間で京都に行く回数が増えました。昨年は思い出せるだけで6回は京都に行っています。

 

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先日もメルマガ会員限定でシークレットセミナーを行なったのですが、場所が前回セミナーをした場所のとても近くでびっくりしました。

 

今後も面白いことが起こりそうです。

 

もしかしたら今日たまたま立ち会った場所が今後定住する場所になっていたり、出会った人が人生で最高のパートナーになっていたりするかもしれませんよ。

 

世の中は関係性から成り立ちます。であるならば関係性そのものを変えていくことも有効なアプローチです。

 

単なる食わず嫌いに思っている事、意外と多いかもしれませんよ。