ここ最近生きる目的、自身の存在理由について考える。
正直なところ、今まで何となく考えるだけで真剣に考えることはなかった。
人が存在する理由の一つは、他の人々を幸せにするためであると考える。
良く自分がコミットして他人を幸せにすれば、自身も幸せを感じると言われる。
とかく現代では個人に重きを置きがちだけれども、もともと人間は群れで生きる。
全体の利益のために生きても何ら不思議はない。
もしかしたら人のDNAには、種を生かすための利他的な遺伝情報が書き込まれているのかもしれない。
種の保存という観点から考えれば辻褄の合う話だ。
そう言えば個人なんてないと、女神さんに教えられた。
ゴール設定も究極のところ、自分と多くの人々にとって嬉しいものが威力を発揮する。
いろいろな抽象度から説明できるが、自分も嬉しくて他の人々にも嬉しければ喜ばれて当然だろう。
さて、話を戻すが、こう考えると生きるとは何か?自分が存在する意味とは何か?
意味があるのか無いのか、こればっかりは分からない。
しかし、意味を自分なりに意図的に持たせることは出来る。
これがゴール設定である。
自分を活かして、他人を活かして可能性や才能を拡げる。
このようなお互いを活かす関係性が理想であるし、それを現実に落とし込んでいく。
機能を果たすという意味が、一段上の抽象度で捉えられるようになった。
徳を積むとはこういうことなのだろう。