前回人生は臨場感で決まるというテーマで記事を書きました。
臨場を変えるにはどうしたらいいのか。
この話の続きを書きたいと思います。
明日は大阪出張なので、まとめて明日の分も書いておきます。ついつい、記事を書いてしまうそれが私のセルフイメージです。
さて、臨場感はセルフイメージにも綱が繋がります。
例えば、苫米地式コーチの料金を比較検討してみてください。誰もが普通に考えたら高い金額だと思います。
実のところ、私も最初は高い金額を付けるのは抵抗がありました。一般的に他のコーチングはもっと値段が安いとからです。
だけど苫米地式はそれと比べて値段が高いでしょう(私たちはこれでも安すぎると思っています。人生変わりますから)。
今は違いますが、最初は、私の周りのコーチも同じような値段だったので、私もつられて高くした覚えがあります。そんなもんなんだと。
つまり何が言いたいのかというと、この人間関係から生じる臨場感でセルフイメージが決まり今の値段が決まったわけです。
他の例だと、まず誤解をして頂きたくないのはあくまでも実体験に基づく例です。どちらが良くて、どちらが悪いでもなく、またどちらが幸せで、どちらが不幸と言った話でもありません。
かつて勤めていたところは島根県内で大きな会社の方々と取引がありました。私もそこの敷地内に常駐していたために、その場の雰囲気に同調していった記憶があります。
よく話題に出るのが長期休暇にはヨーロッパに行ってくる、ニューヨークに行ってくるという話でした。また○○にマンションを買おうかという話題も多かったです。
そんな環境に使っていると、それが当たり前えだと感じるようになります。セルフイメージが書き換わったのです。
ただ、その仕事を変えると、今度は一転「俺たちの年代で家を買える人はいない」「東京、いや大阪ですら行くのが一大イベント」という人間関係に臨場感を感じました。そのうちに同調して、そのセルフイメージに収まりました。
この時に、「ああ人間関係で人生が決まる」ってこういうことなんだなと思い知らされました。
ただし、両者ともコンビニで買う食べ物は同じです。
ちなみに日本では、仕事を変えるとはセルフイメージはもとより、属するコミュニティごと変わってしまいます。
このコミュニティを身近に顕著に表しているのがスーパーやカフェです。
地元松江市の話で恐縮ですが、コミュニティとセルフイメージについて、次のような質問を頂きました。
私はいつも同じスーパーAに行きます。少し高級なスーパ―Bにはあまり行きませんと言われました。
スーパーAは、市内では一般的な所得の家庭の奥様方が買い物に行かれる場所です。
一方Bは田舎版成城石井的な感じのスーパーです。大学教授の奥さんや、市内では比較的所得の高い公務員の奥さんが買い物に行くところだと推測されます。
ここで挨拶する人間関係同士でも生活に対する臨場感が形成されています。
また松江市にもスターバックスがありますが、ここは地元の人はほとんど行かないと思います。あまり長居が出来ません。お客はほとんど時間合わせの観光客です。
というのは滞在時間に比べて値段が多少高めに感じるからだと思います。それよりは同じ値段を払うなら食べ物付きで、かつコーヒー一杯の単価が安い方を選ぶと思います。大概はこれも自分と同じような人たちが集うから、そこに居心地の良さを感じているのです。
この場合も同じような人との出会いを通じて、私が使える嗜好品の値段はここまで、つまりは時給、日給、月給がこのくらいという仕事を選ぶのです。
またそこの仕事を通じて世界に対して役割、臨場感を感じています。
高校選びでも同じです。
例えば、どこの県でも進学校であれば、医者の息子や老舗のお嬢などが在籍しています。進路はほとんど東京の大学であり、そこからUターンしてくる人も少ないかと思います。
一方で、実業高校であれば、家を継ぐための職人さんセガレ、農家の娘さんが在籍しているハズです。進学よりも直ぐに就職するパターンが多いでしょう。
この両者間においてでさえもコミュニティが形成されています。
このようにして人は人間関係を通じてコミュニティを形成して、その中からセルフイメージを形成しています。
ともすれば、セルフイメージを変えたければ何をすればいいのかお分かりでしょう。
もしかしたらそれが希望に繋がるのかもしれません。
私の属するコミュニティのコーチは頻繁に情報発信をしているので、私もつられた点はあります。