そんな僕も高校に進学した。商業系の学校だった。実はその時、コンピューターに興味を持つようになったので情報処理課へ入った。
現代の海上戦闘は電子戦の時代。海上自衛隊の船はハイテクなコンピューターが搭載されており、それ相応の知識がないと駄目だと考えたわけだ。戦闘指揮所(CIC)でコンピューターを操作する自分を無意識に映像化していた。今思うと脳って凄い。
高校では、プログラミング言語なるものを学んだが、それに関してはあんまり覚えていない。けど、コンピューターの成り立ちは、数学者ノイマンがミサイルの弾道計算のために開発したという話は忘れていない。興味があったことは長期記憶となり今でも覚えている。
興味についでに言うと、子どもが勉強しないと嘆いている親御さんも多いかと推測する。大抵の場合は、ただ興味が無いだけだ。興味が無く、それゆえ悪い点を取れば先生に叱られる。勉強したくないのも当然だ。
勉強してほしかったら反対の循環をつくりだせばよい。さらに、言うとゴールが見つかればなおのこと良い。これが上手くハマると勉強せずにはいられなくなる。
というより、学校で必要とされる教科以外に、すでに興味がある分野を持っているのかもしれない。そこを伸ばせば不思議と全体が上がってくる。これを長所進展法と呼ぶ。
さて、実業高校だった故に、ほとんどの教科は初めて習うことばかり。普通教科に関しては、最初は中学校に毛が生えた程度で楽勝だった。
入学してからのテストで、いい点を取ったので成績もクラスで2番だった。入学した最初の面談にて推薦で大学に入れますよ。この成績を維持していけば、有名大学だって行けますと太鼓判を押された。就職だって地元の有名企業に入れると言われたと思うが、それは重要ではなかったので記憶からすっぽりと抜け落ちている。良いかどうかは別として、中学校の頃を思えば信じられなかった。
環境を変えることで縁起(関係性)が変わり出来る生徒になった。しかし、この出来る生徒感を維持しなくてはならないと思い込むようになり、それがストレスとなった。もう、前みたいに人に馬鹿にされてはいけない。そんなことが二度とあってはならないと思い込んでいた。
そうしないと自分が維持できない、周りから評価されないと思うようになった。完璧感があり良い気分の時は何も問題ないのだが、ちょっとでも不安なことがあるとそれが強迫観念となり、それを打ち消すために莫大なエネルギーを要する。
詳細は、神経症のところに書いてある。
情報処理課でプログラミング言語を学んだためか、感情を押し殺してコンピューターのようになればいいと考えるようになった。感情(情動)に支配されることはみっともないことだと真剣に思っていた。
この文章を書いていたらなぜかマンガGTOに出てくる勅使川原先生を思い頭から離れない。本当は、彼は被害者だ。勅使川原先生が出所後、勅使川原コーチになって活躍してくれないかなと勝手に妄想する。勅使川原コーチが鬼塚先生をコーチングする。このぶっ飛び具合、これぞ現状の外側だ。
ちょっと、違った方向へ進みそうなので今回はこのへんで。
現状の外側の定義
マンガGTOに出てくる、勅使川原先生が鬼塚先生をコーチングするくらいの出来事
続く