いい人とは何か?
コーチはいい人であれと教えられる。
ここで言ういい人とは、他人から嫌われるのが怖いからいい人を演じるのいい人の類ではない。
圧倒的に、いい人である必要がある。
では誰にとってのいい人か。
クライアントにとっては当たり前だ。
それ以外にも、多くの人にとってのいい人である必要がある。
例えば、サービスの現場では、お金を払ってくれる人にはいい人であるというスタンスも見受ける。
けど反対に、対価を頂かない人に対してはいい人である必要なないという人もいる。
その気持ちも分かるけど、それはそれで何か違うという気がする。
世の中を見渡せば、本音を言えば、いい人でない人の方が正直多い。
いい人は圧倒的に少ない。
でも、いい人の灯を消してはならない。
また、与え続ける人になりなさいとも教えられる。
この考えには与え続けて、でも最後にもらうのは自分という考えもある。
が、本当は一方的に与え続けることが大切という意味だ。
話は変わるが、昔の海軍兵学校(今の海上自衛隊幹部候補生学校)には五省と呼ばれる日訓戒がある。
この訓戒は今でも一日の訓練の後に、自らを省観るために唱えられているらしい。
一、至誠に悖るなかりしか
真心に反する点はなかったか
一、言行に恥ずるなかりしか
現行不一致な点はなかったか
一、気力にかくるなかりしか
精神力は十分であったか
一、努力に憾みなかりしか
十分に努力したか
一、不精に亘るなかりしか
最後まで十分に取り組んだか
自分が五省をつくるなら
一番最初に来るのは
一、いい人であったか
にする。
いい人である
コーチの原点はココに帰ってくるのだなと思う。
否、コーチであるとか、何とかという抽象度ではなくて、私としての在り方の問題だ。
しかし、後年は、そこからあえてコーチという概念に縛られる(Liberty to)だろう。
日々の問いかけは続く。