不安や心配事が心と体をむしばむ前に


今必死になって個人事業主の帳簿を付けています。

この作業、会社員時代は経理の方がやってくれていました。しかし、個人事業主になると手続きは自分でしなければなりません。まあ、税理士に頼むという方法もありますが。

高校時代
私は商業高校で簿記を習いました、しかし、当時はあまり興味がなかったというか臨場感が無く、テストのための勉強でした。

高校1年の終わりから急に簿記に対する情熱が失われました。それまでは200人中くらいの学年で簿記に関しては10位以内の実力はありました。正直、テストの点も良かったです。検定も簿記3級くらいは楽勝で受かりました。

しかし、1年の終わりごろに急に大学に行きたくなりました。ひねくれていたので、普通学科で私立文系の大学を受験しようと思い、英・国・社会ばかりを勉強しました。本当は、学校で優秀な成績を収めれば大学に行けたのですが、基本商業科にしか行けなかったので、もうこれ以上こんな勉強は続けたくないと思い簿記の勉強を投げ出しました。

全く簿記の勉強をしなくなったので成績はあっという間に急降下しました。

さらに悪いことに大学進学希望と書いたが百年目。
2年生に進級する時に、勝手に特別進学クラスに編入させられました。簿記を含めた商業科の点で良い点を取って大学に入ろうとするクラスです。

ここでも先生にやる気を見せないために成績に関係ないテストでは名前だけ書いて解答欄は何も書かない戦法に出ていました。今思えばちょっとやり過だったかなと思います。

成績に関係あるテストでは、赤点を取らない程度に頑張っていました。たまにある検定試験の時だけは鉛筆を転がして対処しました。

2年時の夏休みは炎天下の中、当時の簿記の先生が指導していたテニス部のコートの横に椅子と机を展開して補修を受けたり、冬休みの寒い時も補修を受けさせられたりとそれなりのペナルティも被りました。

そんなこんなで3年生になり年も明けて地元の大学にも受かり、「さあこれで一安心だと思いきや」、そうは問屋が卸しませんでした。

そう簡単に卒業できると思うなよ
日商2級レベルの卒業試験に合格しない場合は卒業させないとお達しが届きました。確かに、特別進学クラスの場合は、学校が認める所定の検定又は試験に合格しなければ卒業をさせないと書いてありました。

日商2級に合格するのは、落ちこぼれだった私にとってはとても高いハードルでした。

当局の対応(わざとそう書く笑)は毅然としていました。

もう少しで卒業という時です。猶予は1か月もありませんでした。
クラスメイトはほとんど自由登校で自動車免許を取りに行ったり、カラオケに遊びに行ったりと高校生活最後の時をエンジョイしていました。

私の場合ここからが本番でした。同学年の皆に遅れること2年と10か月余りやっとエンジンが掛りました。

赤点ギリギリの簿記をほとんど理解していない状態から1か月以内で、日商2級合格レベルまで持っていく。結構大変です。あの時はマジで勉強しました。今思えば奇跡ですが、毎日簿記の勉強をしまくり、マンガで分かる簿記入門を読んだりしていました。

学校を卒業したいというWant to
電卓と赤ペンと問題集の3種の神器を手にして、雪の中、チャリンコを漕いで学校に通っていました。学校近くは結構雪が積もり、たどり着くだけでも大変でした。

私以外の選ばれた数名の同期たちと補修を受けて、学校で模試を受けて、図書館でもう1回模試をして、家に帰ってまた勉強をしていました。最初からそのくらい勉強していれば、1級にも受かっていたかと思われます。

なにせ寝食以外は簿記の勉強ですから。

空いた時間は、当時流行っていたプロジェクトXのテーマ曲を聴きながら、頭の中で卒業に向かって勉強に勤しんでいる私と、数名の仲間の映像を描いてイメトレに励んでいました。

「卒業はさせない」→「立ちはだかる簿記の壁」→「すわ留年か?」→「男たちは雪の中を通った」→「全員で卒業式を迎えたい」とかいうテロップが頭の中で田口トモロヲ氏のナレーション付きで流れていました笑。

そんな甲斐があって、学校の模試にて合格点を3回連続でたたき出しました。その中には100点だったのもあります。これが認められて学校側より卒業の許可がでました。

「やったー釈放だ」と心の中で叫んだ記憶を覚えています(声に出したら、もう一回3年生をする羽目になりそうだったので・・・そこは自制しました)。中島みゆきさんも頭の中で歌ってくれました。もう少し時期が遅ければゆずの「栄光の架け橋」がかかっていたと思います。

はい。ここまでが前置きです
ここで言いたいのは、人はwant toであるととんでもない力を発揮するということです。無意識が味方についた時の凄さが分かると思います。僕の場合は高校を卒業したいでした。

多くの人は、将来を心配に捉えがちです。将来○○になったらどうしよう、そのためには○○しなければと、出来事が起こる前から心配してしまいます。

その為に、何日も悩み、眠れなくなりノイローゼのような状態に陥りがちです。不安の借金を増やしてしまいがちである。
(不安や心配に囚われると、無意識がそれを叶えてしまう)

しかしながら、私たちにはとんでもない力を秘めています。それは何かあった際に、その時に的確に対処できる力です。

何か望ましくない出来事が生じた場合、それから抜け出したい(want to)という力が生まれます。俗に言う火事場の馬鹿力です。問題に対して自分でも信じられない力を発揮して対処出来ます。

この借金がなかったらどれだけリッチなのでしょう。精神的な不安がなく、また仮にあっても対処する力が備わっていればどれだけ人生の可能性が広がることでしょう。私は不安や心配こそが、神経をすり減らして人間を見えない監獄に閉じ込めてしまうのだと思います。

繰り返しますが、本来私たちには何かあっても対処する力が備わっているのです。これは間違いありません。

上の私の例を見ても分かる通りです。イザという時にとんでもない力を発揮しました。別に、頭が良かったわけではありません。ついでに言うと、別の記事で書いたように神経症で苦しんでいた時でもあります。そんな時でもwant toエンジンは作動するのです。

繰り返しますが、この力は誰にでも備わっているのです。

まとめ
多くの人は将来を心配に捉えがちである。将来○○になったらどうしよう、そのためには○○しなければと、そのことが起こる前から考えてしまう。

精神的な不安や心配事が私たちの心と体をむしばむ。
(不安や心配に囚われると、無意識がそれを叶えてしまう)

しかし、私たちはいざという時に問題に対処できる力を秘めている。それは問題を解決したいwant toという力が発揮されるからである。

不安という借金を減らしてリッチになろう。

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2015-12-11 | Posted in コーチング, ゴール設定No Comments » 

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