『コンフォートゾーン対コンフォートゾーンの闘い』 ~ドリームキラー体験談

『コンフォートゾーン対コンフォートゾーンの闘い』 ~ドリームキラー体験談

ドリームキラー

 

コーチングでは夢を潰す人呼ばれます。

 

大抵の場合悪い意味で使われている。

 

偉そうに言うけど、お前はドリームキラーになったことはないのかと問われると、『ある』と答えます。

 

正直に白状するとあります。

 

ドリームキラーを論じるにも、ドリームキラー当事者としての経験が必要です。

 

 

ドリームキラーになりやすい時。

 

それは自己評価が思いっきり下がっている時だと考えます。

 

自己評価がさがり過ぎると、廃人になるのか、最悪死んでしまうと思います。

 

本能として、それを回避するために、他人を引きずり下してでも、生きていきたい。

 

海で溺れたら近くの人につかまってでも、ハイ上がりたい。こんな心境に近いのかも知れません。

 

 

例えば、私の例。

 

かつて神経症で苦しんでいた時に、医者から働いてはいけないと忠告されて療養に専念していたことがあります。

 

この時に英語の勉強に専念していました。

 

勉強に熱中するあまり、いちいち他の人の勉強にも口出しをしてしまったことがあります。

 

同郷の方が、東京の青山で英会話教室を開いているという情報をインターネットで見つけました。

 

そこで、外国人のような発音をと謳っていました。

 

それにイラッとしました。イラッとする私も変ですが、さらにおかしいのは外国人のような発音をまねる必要はないと、全く見知らぬ人へ苦言のメールを送ってしまいました。

 

日本人らしく、発音よりも中身が大切だと力説したメールを送りつけてしまいました。

 

相手から見ると???ですよね。

 

さらに悪いことに、その考えは苫米地さんの意見の受け売りでした・・・。

 

ここで、振り返ってみるとなぜこうなったのか。

 

1.同郷の人ということで、共通性を見つけた。

 

2.自分が上手くいっていない時に、自分よりも英語が下手だと(勝手に思った)、または頑張っていない(という妄想)人が活躍しているのが快く思えなかった。

 

以上の2点に収斂されると考えます。

 

さらに言うと、俺はあんたよりも偉い人に学んでいるんだ。という劣等感をひっくり返したような思い上がりが浮かんできたわけです。

 

妬みも、上の事柄が共通していると思われます。

 

自分と余り接点がない人が、活躍していてもフーンというか、その情報は目にも止まらなかったと思います。

 

一方で、身近な所、共通性がある人だと認識に上がります。

 

さらに、ここがポイントです。自分よりも下にみていた人が、登って行った時です。

 

つまり、その人を下にみていて、その関係を振り返りながら心の安定を保っていた。だけど、相手がその関係を解消しようとしている。これを良しとせず、攻撃を仕掛けるわけです。

 

振り返ってみると、なぜそんなことをしたのか?無意識のうちに、イゴゴチが悪くなって上のメールを送ってしまいました。

 

反対に、ドリームキラーに攻撃される側から観察してみましょう。

 

攻撃してくる側は、とくに何の信念もなしです。

 

全うな意見を述べているように思えることもありそうに見えるだけで、その多くは他人の意念を鵜呑みにしただけのものがほとんどです。

 

ただ、イゴゴチが悪い。コンフォートゾーンをかき乱されたからという反応です。

 

ただし、残念なパターンは、こういったドリームキラーが意外と影響力を持ってしまうことです。

 

人によっては、よほど暇なのか相手を屈服させるために、それなりの理論武装をして相手を封じ込めようとしてきます。何が何でもねじ込めたいのです。

 

とくに、直接会っていない、ネット空間だけのやり取りでは文字情報だけで得体が知れない分だけ、逆に説得力が増してしまう場合があります。

 

そのエネルギーを他に使えよと言いたい所ですが、それが生きがいとなっている人も中にはいます。

 

また、ドリームキラーになると他人の不幸は蜜の味になり、それに味を覚えてしまいます。

 

コンフォートゾーンがますます強化されて、自己評価がさがるとそれを他人にまで押し付けようとします。

 

押し付けたものはプッシュ・プッシュバックが働くので大概は上手く作用しません。あしからず。

 

 

 

結論から言うと、ドリームキラーは最終的には自分のコンフォートゾーンを守るため。良い気分を維持するためです。

 

深い意味なんてない、その時の気分の方がほとんどです。体験者だからそう言い切れますし、ドリームキラーに対して抽象度を上げて観察するとそのように感じました。

 

かつての自分もドリームキラーもある意味気の毒な人です・・・。

 

一見、私達のためを思ってくれていそうな、いわゆる善意のドリームキラーも突き詰めると自分の為です。

 

ゴールを目指すということは、ある意味、自分のコンフォートゾーンと他人のそれとの闘いのような側面があります。それは致し方ありません。

 

だからといって、私達がゴールを目指す妨げをしてはいいという正当な理由にはなりえません。

 

私達は淡々とゴールに向けて突き進めばいいのです。