少し前までは皆と一緒で普通が素晴らしいここと信じられていたと思う。社会にはレールがあり良い学校、会社に入社、定年まで安泰が理想だと思われてきた。今でもこういう考えの人は結構いるけど。
今後はより一層差異こそが価値となる時代に突入すると予測する。差異に希少性が生まれ価値が生じてくる。つまり、皆が同じで安心×、違ってないとマズイ○である。
例えば、同じような性能のパソコンを買う場合、結構多くの人がインターネットも含めて安い所で購入するのではないか。なので、すぐに値崩れを起こす。いわゆるコモディティ化という現象だ。しかし、圧倒的な差異を持つパソコン又はそのような機能を持った製品はそう簡単に値崩れは起こらない。ちょっと前までのIpadなんか最たる例だろう。
音楽CDでも限定盤で、圧倒的にレベルの高い作品はそう簡単に値が下がるどころかプレミアがついて上がりまくる。僕の好きなピアニストのLPは発売当初は6,000円だったのに、すぐに30,000円に値上がりしていたのには驚いた。
人でも圧倒的な価値を創りだすことが出来れば大切にされるだろう。逆に価値を提供できないとなると、安く買い叩かれる。コストの安い外国人労働者が大量に流入してきたら、残念ながら日本人の労働者の多くは職を失うか、賃金が大きく下がることは違いないだろう。
ちょっとマニアックな話になるが、実際、船の世界では現実に起こったことである。1975年の日本の外航船員(外国航路を航海)は5万人を超えていた。しかし、その後プラザ合意後の円高進行の為に、コストがかかり過ぎて船会社は代わりに賃金の安い国の船員を雇うようになった。そのため多くの船員が船を降りなければならなくなり今では、当時の10分の1、5,000人を下回っている。船乗りになるための学校を卒業しても乗る船がないそうだ。いや船はあるけど、皆外国人が動かしている。
こんな状態で、ロボットが加わってきたら大変なことになるだろう。ラッダイト(打ちこわし)運動が再び起こるのではないのだろうか。
価値を創るためには、これからはとくに皆に応援され共感を受けるビジネスモデルを構築した方がいい、というかそうでなければコモディティ化されて生き残れない。言い換えれば、抽象度が高く関わる人々Happyを感じられるモデルだ。
その時に、サービスを提供するトップの顔が見えてないといけないし、エフィカシー(自分の能力に対する自己評価)も高くないといけないのは言うまでもない。
価値を創るには絶えず問い続けていくしかない。他の人には真似できない、ロボットにはできない、自分にしか果たせない機能(役割)は何かと問い続けていこう。
その答えがきっとその人の価値だ。