したいことをする 無意識には嘘がつけない

先日、地元の友人と今後企画するセミナーの打ち合わせを兼ねて話をしました。

 

その方はとても素晴らしい方であり、コーチングとはまた違った観点で心と身体の問題を取り扱われています。

 

私のいろいろなスコトーマを外してくれます。

 

話の最中に、したいことをするについての話になりました。

 

したいことを追及されて、多くの人に幸せを与えています。

 

とかく私たちはどこからか、やりたいことをするよりも、堅実な方法、安定な方法を選択することの方が大切だと教わります。

 

その考えが染みついているので、ともかく目的はないけどいい学校に入って、いい会社に就職することが幸せだと刷り込まれてきました。

 

実際に、子どもに勉強を教えていますが、僕は何のために大学に行くのか分からないという生徒もいます。そこは踏み込んでいません。

 

さて、多くの人が幸せだと感じている価値観は安定であり、裏を返せばお金の問題です。その他は、社会的ポジション。

 

私もかつては社会的な肩書や年収が生きる上で最も大切なことだと思っていました。しかし、先日それらに関してあまり魅力を感じていなくなったことに気が付きました。

 

社会的に肩書があり、お金を十分に稼いで、安定な毎日のハズなのに、どこか違和感を覚えている人が多いと感じます。端からみたら十分幸せなだと思われる人でも、明日会社に行きたくないと頭をもたげている人がいます。

 

その理由は、何なのかは分かりませんがhappyではないのでしょう。

 

また、地位や年収に関して面白い話があります。

 

かつて、このブログで登場する女神を含む女性コーチと話す機会があり、その時に、お金よりも、したいことをしている男性がカッコいいよねと言う意見を聞きました。

 

その時、ギョッとしました(笑)

 

だって、それまで女性は、男性の地位や安定度、収入を尺度として見做すとしか思ってなかったからです。

 

本屋で売っている婚活マニュアルや、実際にそれまで出会って来た女性はそう言う人が多かった。世の中そう言うもんだと思い込んでいました。

 

実際に、私の場合は新卒で国家公務員になりましたが、それを辞職してしまった。安定を失ったわけです。

 

そうなると今思うと馬鹿みたいな話ですが、結婚や恋愛を戒めとして本気でしてはいけないと思い込んでいました。

 

理由は、結婚しても生活の安定が保証できないから。男性が妻子を養わないといけないと思い込んでいたからです。

 

それゆえ、自分を勝手に社会不適格者と見なして、そのような世界からおのずと自ら足が遠のいて行ったのです。その後に、職場で縁談を進められても、上記の理由で遠まわしにお断りをして来ました。

 

それゆえ、自分よりも輝いている人たちからの、したいことをしている人がカッコいいという視点は斬新だったのです。

 

そう思って来たのも、外から与えられた価値観に従って、生きてきたからかもしれません。

 

コーチングのゴール設定の原則に、心から望むwant to~という概念があります。

 

実は、この心から望むwant to~も最初は意外と他人から植え付けられた価値観である場合がほとんどです。

 

コーチングを愚直に実践していくと、アレッこれって、自分のwant toではなかったと気が付きます。

 

この点は意外とセルフコーチングでは気が付きません。人間は一度、自分で決めたらなかなか違う考えを受け入れられないという一貫性が働きます。執着してしまします。

 

往々にして、自分では気が付けません。そして外すにも外部の目が必要です。

 

それがたとえ社会的洗脳であっても然りです。良いと思い込まされている状態にすら、気が付けないのです。

 

しかしながら、無意識には嘘がつけません。やりたくないことを騙し騙しやっていっても、病気になったり、怪我をしたりと、どこかでクリエイティブにやらなくていい状態をつくり出します。

 

人によっては、変な行為に走って逮捕される場合もあります。おそらくは、これも逮捕されることにより強制的に、やりたくないことを中断させるための無意識の仕業です。

 

余談ですが、コーチには高いエフィカシーが求められます。このエフィカシーはゴールの大きさから、あとどれくらいwant toな毎日を送っているのかとも相関関係があるようです。

 

コーチを含めて情報発信している人の文面からも、非言語で読者の無意識に発信者のエフィカシーとその裏にあるwant toが伝わってしまうのです。

 

さて、したいことをするにはリスクも伴い、結果は自己責任で受け入れる必要があります。

 

それでも、死ぬ間際で、あの時ああしておけばよかったなと後悔するよりはいいと考えます。