ゴールが見つからないのではない 本当は見つけたくないのだ!

ゴールが見つからないという人は多い。

 

今までセッションをしてきたクライアントの中にも多かった。

 

そして、それは自分にも当てはまった。

 

ある言葉が鍵を握っている。

 

それはネバならない(have to)だ。(以下は、have toに統一)

これがゴールを妨げているという仮説を思いついた。

 

さて、ゴールが見つからないという人は、概して真面目だ。

 

ゆえに、ゴールを見つけなければならない。

 

私はこれをしなければならない、というhave toベースでゴールを考えてしまう。

 

 

例えば、仕事選びに関して、

 

無意識では、本当はその仕事をやり続けることに疑問を感じている。

 

だけど、意識ではこの仕事をやらなければならない(have to)と感じている。

 

その仕事は、親や他人から『あなたはこれを仕事にするべき』だと言われてきた。

 

または、この仕事なら他人から評価される、認められるという考えをもとにしている。

 

掘り下げていくと、その仕事でなくなったら自分の価値が無くなり、誰からも相手にされなくなると心の底で脅えている。

 

この場合、本当はやりたくない仕事の延長線上で、意識でゴールを設定しようとするので、当然の如く上手くいかない。

 

本当はゴールなんて見つけたくないのかもしれない。だって、洗脳されてた方が楽だから。

 

私にも経験があるからよく分かる。

 

私の場合、コーチンングを受けて3か月目くらいで、ゴールが見つかった。

 

それは今振り返ると、have toを捨てたタイミングと重なる。

 

ゴール設定の原則に、心から望むwant to~という制約がある。

 

本人は、want toにしたつもりだけど、だけど、このwant toは実は、他人から与えられた価値に基づいたwant toである。

 

言い換えれば、他人のwant toで、本人にとってはhave to。そのwant toは親のwant toかもしれないし、社会の集合無意識としてのwant toかもしれない。

 

はたまた、自分が尊敬する偉い人のwant toなのかもしれない。

 

こうなってくると、本人にとっては、have toなので、やる気も起きないし、設定しても嬉しくない。

 

入力が間違っていると、必然と出力も間違っている。

 

だけど、まじめな人ほど、そのこと拘ってますます身動きが取れなくなってしまう。

 

一度決めたら、やり通さなければならない、途中で辞めてはならないという日本的価値観がそうさせている。

 

さらに、have toを捨てると、他人から見捨てられるかもしれないという不安も背後にある。

 

しかし、その前に、have toだと自分を見捨てている。

 

自分を見捨てた人には、あまり人が寄って来ない。仮に寄って来たとしても、これまた自分を見捨てた人が群がる。

 

たぶんエネルギーを吸い取られていくので、疲れることだろう。

 

 

私の体験からひも解けば、have toの頃は、人から認められるために、こっちから無理をして、今思えば対して興味がない人に寄っていかねばならなかった。

 

一方で、不思議とwant toな今は、勝手に素晴らしい人達が寄ってくる。

 

have to思考のスコトマに隠れているが、want toの方が、こちらが真に望む人たちから愛される。これは間違いない。

 

エネルギーに満ち溢れた素晴らしい人達だ。

 

また、have toの度が過ぎると、病的な症状も表れる。病は心の表現だ。

 

この場合、have to思考の人は、心身に影響が出るのは、『私の意思が弱いから』だと考えてしまう。

 

だけど、本当はそうではない。

 

単純に、やりたくないことをやるから症状が出るのだ。

 

これはある意味でチャンス。

 

実は、苦しんでいる人は、本当は心のどこかではそのことを分かっている。

 

この苦しみから逃れたいと。

 

しかし、自分ではなかなか認めることができない。そう決断するのが怖いから。

 

また、人間には一度決めたら、それをしなければならないという心理(コミットメントと一貫性)も働く。ゆえに、途中での方向転換に罪悪感を覚える。

 

他にも、もしこの選択が間違っていたらどうしようとも考える。

 

だから、他人から『やりたいことをやろう』と言ってもらいたいのだ。無意識にそういったことを言ってくれる人を選んでいるのだ。

 

それはコーチかもしれないし、たまたま行った理髪店の店員やマッサージ師の人かもしれない。

 

自分も経験があるからよく分かる。

 

が、最後に決めるのは自分だ。もちろん、その結果も受け入れる。

 

一つだけ間違いないのは、want to(したい)ベースに切り替わった時、それまでの苦しみが嘘のように消え、ゴールもポンポンと思い付いてくるということだ。