自分より劣っていると思われる人との比較癖

私は幸せになりたいという方は多い。

 

ほとんどの人がそうだと思う。

 

みずから不幸になりたい人はほとんどいない。

 

幸せになるために気を付けるべきことがある。

 

人生がなかなか上手くいかない時、ついつい自分よりも格下だと思っている誰かと比較をして、まあ俺ってこの人よりもマシだし大丈夫かと安心する。

 

こういった心理があるのでは。

 

この心理は危険だ。

 

一つ目は、どうあがいても変わることは出来ないというセルフイメージを構築してしまう。

 

2つ目は、知らない間に誰かのドリームキラーになっている場合がある。無意識のうちに、その人の悪口を言ったり、妬んで陥れようと画策する。

 

こうなるとやはり他人も警戒して離れていく。だけど、次は同じような人が近寄ってくる。

 

さらに、結果的にさらに苦しい状況に追い込んでいく。

 

つまりは、自分で自分の価値を落としてしまっている。ある意味自作自演だ。

 

 

この人を見ると腹が立つ。だけど、本当に腹が立っているのはその人ではない。

 

その怒りは自分に向けられている。

 

だったらこう考えよう。比較は必要ない。

 

比較をして心理的に優位を感じる必要もなければ、劣等感を感じる必要もない。

 

優位を感じても、それもつかの間の安堵。

 

反対に、自分よりも優れているという人を見つけては落ち込む。

 

なぜ、こうなるのか。答えから言うと、それは自分の中に生き方の基準がないから。

 

だったら、基準を持てない私は行けない人かと落ち込む必要はない。

 

そもそも仕方がなかった部分がある。

 

自分の中に行き方の基準を持てなんて誰にも教わらなかった

 

むしろ、周囲に合わせろ。出る杭は打たれるぞと!

 

実際に、ちょっと自己主張をしたら叩かれた。

 

こう言った過去の記憶があり、それが強固にされているのかもしれません。

 

だけど、その考えは、誰も幸せにしてくれませんでした。

 

だったら、これから創っていけば良い。

 

 

また、相手は私のことをこういう風に思っているのだなというのは、本当かどうかは分かりません。

 

心の中で自分で自分に対する評価を相手に投影しているだけの場合がほとんどだ。

 

相手からみたら、ものすごく羨ましい存在なのかもしれない。

 

だけど、そんなことはどうだっていい。

 

 

 

 

それでも、比較をしてしまいそう時には、『ちょっと待った!』と自分に突っ込みを入れて。

 

『そもそも、その比較は必要』と突っ込みを入れよう。

 

自分なりの指針を手に入れて、幸せをつくっていってもらいたい。

 

その手助けとなるのがゴール設定です。