前回女子力について書きました。
今回はその補足です。
そもそも、この『女子力』は一体誰のための何のための『力』なのでしょうか?
世間で言われているこのふわふわした『女子力』とは。
前回の記事にでは女子力はマーケティング用語だと提起しましたが、新たに問いかけます。
もしあなたが、女子力を高めないといけないと感じていたら、一体誰のため?
女子力とは理想の自分を磨くための力。そして、恋愛や結婚に関しては理想のパートナーを選ぶ力でしょうか。
それとも、男性に選ばれるための力。少しでも社会的地位や、年収のお相手から選ばれるための力。
私個人的には、大方の女性にとって後者の気がします。
この後者の背後には、女性はいつまでもたっても男性の陰に控えるべきという、儒教的な思想が見え隠れします。
その男尊女卑的な価値観の中で、上手く立ち回るための力。それが女子力の一側面なのかもしれません。
言い換えれば、女子力とは、旧来からある王道の女性らしさ絶対的な価値観があると見せかける手法。
女性によっては女子力を高める!いいことだと啓蒙する方がいるでしょう。また、女子力を高めていることに極上の喜びを見い出している方もいるかもしれません。
だけど、抽象度を高めて観ると、そのことも儒教的社会の秩序を維持するためのマイルドな社会的洗脳という構図を感じます。
人間は本質な所では、自由を望む生き物。
どこか押し付けられたマイルドな価値観には違和感を覚えるものです。
※完璧な押し付けは洗脳として、その中で生きることに喜びを見い出すのかもしれません。
その証拠に、世間の求める女子力を無理に高めるようとして、しんどさを感じている女性が多いでしょう。
また、あなたも薄々は気が付いているハズです、『女子力』そんなものは望んでいないと。しかし、同時にそれを捨てることに悪いことだとも感じているハズです。
だけど、捨てたければ捨てればいいし、反対に捨てたくなければ捨てなくていいのです。
それを何を基準に決めるのか。
それはあなたの生き方に委ねられます。
その生き方を見つける道具が、ゴール設定なのです。
※女子シリーズのゴール設定は、『頑張り女子の自分の愛し方講座 ~女性のための苫米地式コーチング~ (無料)』にて説明しています。