エフィカシーの話は分かった、自信を持ちたい。だけど、自分には無理だ。もともとネガティブな性格だし、いつも悪いように考えてしまう。
そういった相談を多々受けます。
そういった相談を多々受けます。
その気持ちはとてもよく分かります。私も元々はそういう性格でした。
否定するつもりはありません。しかし、考えてみてください。本当にあなたはそんな性格に成りたくて選んだのでしょうか。
これまでの人生で、やりたいことがあったのに「お前なんかにできるわけがない。あなたには無理」という言葉を連日のように刷り込まれて、諦めてきたのではないでしょうか。
認めてもらいたい人に「なんでできないの、まだまだだね」と言われて、承認されなかった記憶が邪魔をしていませんか。
世の中は、プラスなことは出来てあたりまえ。減点主義で、マイナスなことにロックオンをして評価していく。本屋に行って、偉い先生が書いた本を読んだら、もっとこうしなさい、ああしなさいと書いてある。権威にそういわれるから、暗にそうしなければ生きていけませんよと脅されてきたのではないのでしょうか。
本当は、挑戦したいことがある。叶えてみたい夢がある。
だけど、年齢を重ねていくうちに、いわゆる世間の常識に照らし合わせて諦めてしまった。
権威のある先生も、「人間には分際があって変わる必要はない。そんな夢みたいなことを言わずに、おかれた場所で咲きなさい」と言っている。
そうだな、せめて現状から脱しないように、落ちこぼれとみなされないように、本当は嫌だけど我慢して、艱難辛苦に打ち耐えていれば何かささやかな幸せがあると。そのように信じて、自分の能力や可能性に自ら封をしてしまっているのではないのでしょうか。
世の中には、ネガティブな魔法使いの言葉があふれています。その言葉を受け入れて、真実だと思い込んでしまった結果、本当は望まない性格や考え方をする癖を身に着けてしまったのではないのでしょうか。もっと言えば、あなたが望まない価値観を。
ここまで言われて、「だけど性格だから」で片づけてしまっていいのですか。
実は、純粋な自我なんてものはありません。すべては、育っていく過程であなたが周囲から言われた言葉や、周りから振る舞われた態度をベースに構築されています。ハッキリ言うと、8~9割くらいは他人や世の中の価値観から成り立っているのです。
あなたにはとりたてて特別な能力もスキルもないと思い込むようになり、自分で部分を拘束するようになるのです。
刑務所で三〇年過ごしてきた自分を想像してみてください。三〇年経ったとき、誰かがやってきて、こう言います。「ところで、君は刑務所にいる必要はなかったんだ。君は自分で自分を拘束したんだ。自分自身の判事と陪審員になることを選び、自分で不幸になる判決を下したのさ。一生を貧しく、平凡で役に立たない人間として生きるという判決をね。独房の鍵はいつも君のポケットの中にあった。いつでもドアの鍵を開けて、自由になることができたのに」
ルータイス『人生を変える! 伝説のコーチの言葉と5つの法則 アファメーション』田口未和訳 フォレスト出版 2011年 p32。
鍵は、いつでもあなたのポケットに入っているのです。