私は自己評価が低い、あなたはそのことに思い悩まれているかもしれません。
自己評価を高めて、本当の自分を取り戻したいけど、でもどうやっていいのか分からない。
もしくは、今まで誰かから『遠くにゴールを設定すればいい』とは聞いたものの、そもそもどうやって、遠くにゴールを設定していいのか分からない。
本当の私はもっと輝いているハズなのに、何かがおかしいと。
実のところ、あなたの自己評価が低いのは、元の原因をたどれば、あなたのせいではありません。
自分の自己評価が低い原因は、『私は大したことがない人間だ』という信念を自分自身が抱いているからに他なりません。
この『私は大したことがない人間だ』という言葉の主語をあなたに変えると『あなたは大したことがない人間だ』になります。
そして、この『あなたは大したことがない人間だ』という言葉を、あなたは他人から言われ続けてきませんでしたか?
とくに親や学校の先生から言われ続けてきませんでしたか?
さらには、直接的ではありませんがメディアもそうでしょう。
直接的ではないですが、暗に、あなたが大した人間にならないようにメッセージを刷り込んでいます。
とくに女性の場合は、『20代で結婚して、30歳くらいで子どもを産んで、それから子育てをする、それが唯一の正解』というお手本がどこかにあります。
このお手本をなぞることができれば、そこそこ自己評価が高まった気がするかもしれません。
でも、やっぱり、本当は心の底ではこの生き方を望ますに、無理やり、そこに押し込んでしまっているケースもあります。
無理やり自分を抑えると自己評価を下げます。そして、自己評価が下がった人は、他人も同じような境遇に引き下げようとします。
これがマウンティングだったり、ママ友同士の悪口に繋がります。
そして、こういったお母さんが子どもに『あなたは大したことがない人間だ』と告げたり、態度で示したりします。
もっともメディアの目的はロールモデルを提示するよりかは、反対に、そのロールモデルから外れるのは恥ずかしいことだ、悪いことだというメッセージをテレビや雑誌などを通じて埋め込むことです。
どちらにせよ答えは『あなたは対したことはない』『大した人間になってはならない』というメッセージに行きつきます。
先ほど信念について書きました。
信念は他人から言われてきた言葉や、そのことが想起させた映像と、あと他人との関係から生じた感情を伴った記憶からつくられます。
例えば、ある女の子が幼少期に、『お前は橋から拾ってきた子どもで、仕方がないからお母さんが育ててあげた』と言われた場面で考えてみましょう。
幼少期の子どもとしては、そのストーリーに対して疑う術を知りません。真実だと思い込みます。
まず、文字通り『あなたは橋から拾ってきた子どもで、仕方がないからお母さんが育ててあげた』という言葉を受け取ります。
次に、その言葉から、みじめな自分のイメージと悲しい感情が掻き立てられて、強烈な記憶になります。
強烈な感情なので、その女の子が大きく成長しても、無意識下ではずっと保持されています。
こうなると、大人になって、自己啓発の本を読んだり、いくら有名な先生のお話に話を傾けても『一旦は元気になるけど、寝たら元に戻っている』という状態になります。
なぜならば無意識において、ずっと『自分は橋から拾われた可哀想な大したことがない人間だ』と思い続けているからです。
この思い込みが低い自己評価の自分という信念をつくります。
あなたの自己評価が低い原因も、きっと同じようなことが原因でしょう。
要するに、あなたの自己評価が低い原因は、源流を遡れば、自己評価が低い、もしくは自己評価を下さげようという悪意を持った人間の仕業だったのです。
実のところ、こういった人たちが悪い魔法をかけてきたのです。
しかし、お人よしのあなたは悪い魔法にかけられていたことすら、知る由もなかったことでしょう。
自分の自己評価が低い原因は、常に自分が悪く、自己責任だと思ってきたことでしょう。
悪い魔法にかけられて信念を歪められると、こういったカラクリが見えなくなります。
あなたが自己評価を高めたいと思ったら、まずは悪い魔法を解いてクリアにしなければなりません。
これをしない限り、いつまでも本当の自分は取り戻せません。悪い魔法陣にとって都合の良い、あなたを演じ続けなければならなくなります。
では、本当の自分を取り戻すためにはどうしたらいいのか?
それは高い視点から、あなたとあなたを取り巻く状況を観ることです。
見るではなく、観るです。
もしくは、自分よりも高い視点を持った人から悪い魔法について指摘してもらうことです。
視点を高く持てば、それだけで悪い魔法を見抜けます。
見抜くイコール=魔法をクリアにすること。
悪い魔法にかかるのは、裏を返せば、その魔法に気が付けなかったからでもあります。
本当の自分を取り戻す第一歩は、視点を高く持つことにあります。