今回の記事はあまり楽しい内容ではありません。
昨日ネット検索をしていたら学生の自殺者が7年で200人を超えたという記事を見つけました。
この数字にショックを覚えました。と同時に、この国では就職できなかった=社会的落伍者と言う社会的洗脳が強化されているのではないのかと気が付きました。
自分の実体験からも、とくに大学生の頃は、新卒で就職できなかったアウトと言う風潮が高かったです。
日本社会には基本的なレールがあり、そこに乗っていればマトモな人、そうでなければダメな人と言う線引きがあるかのように思わされます。
そのレールに乗る一つの機会が新卒です。
新卒で就職できずに死んでしまった学生さんは、ダメな人と言う烙印を押されるのが怖かった。
または将来を悲観してしまったのかも知れません。
人によっては就職できないくらいで死ななくても思うかもしれません。
しかし、私の場合を振りかえると、とりわけ学生時代は一つの価値観しか見えていませんでした。
いろいろな情報がスコトーマに隠れてしまっています。
アルバイトから正業に着く、起業をする、海外に行くなど、働かないなど他にもいろいろな選択肢や可能性があるのにそれが見えない。
見てはいけないと感じているのかもしれません。
それゆえに追い詰められて死と言う選択を選んでしまうのです。いや、個人的には選ばざるを得ないのだと思います。
何社からも内定を落とされて、自分は社会から必要とされていないと自分に落胆してしまいます。
自己評価はガタ落ちで、自分は何をしてもダメなんだと思ってしまいます。
私も塾でこれから大学生になる高校生に授業を教えてみて、生徒たちがこのような状況に陥るのかもしれないと思うと、正直胸が痛みます。
それが資本主義だからと言われればそれまでですが。
何年もかけて、周りの人に大切に育てられて育ってきた将来の宝が、就職活動で失われることに違和感を覚えます。
いろいろな意見があるかと思いますが、おかしいと思います。
また、何社も落とされていると、自己評価がさがり、劣等感を覚えて人に会いたくないと思いがちです。この結果、往々にして孤立してしまいます。
しかし、この時に違う可能性や、あなたはダメな人間じゃないという力を与えてくれる他の誰かがいれば、状況は変わってくると思います。
最近思うのですが、人と人との関係に力があるとつくづく感じます。
誰かの力になれる、それはとてもありがたいことです。
自分にはどのような役割が果たせるのか、いろいろと考えていきたいと思います。