社会というコンフォートゾーンを超えて

社会というコンフォートゾーンを超えて

前回、雰囲気美人について書きました。雰囲気美人とは、空間を楽しくして、かつ相手を良い気分にする女性のことでした。

 

もちろん、美しさもかねそなえています。

 

 

 

では、なぜ今、雰囲気美人なのか?

 

それは昨今の日本社会にゆとりがないからです。

 

多くの人は不安をベースにした価値観の中で生きています。

 

不安の裏返しなのか、社会はみなと同じ価値観をもとめます。

 

 

 

『価値観のど真ん中にいる人は正しい。一方で外れている人は恥ずかしいよね、価値観から外れるとヤバいよね』といったぐあいに。

 

 

空間(社会)に過剰同調している自称常識人はエライ。でも外れている人はマズイ、というよりもむしろ、落ちこぼれのレッテルを貼ろうとします。

 

こういった中で価値観にそって生きている人は自己評価も高くなりがちです。

 

しかし一方で、外れている人ほど、自己評価を下げてしまいがちです。

 

また、こういった価値観から外れている人に、昨今の社会は厳しい。

 

多くの人々はこのようなコンフォートゾーンを共有しています。それが社会です。

 

コンフォートゾーンとは無意識のうちに感じる、慣れ親しんだ空間や環境のことです。

 

このようなコンフォートゾーンに多くの日本人は閉じ込められてしまっています。

 

なかなか楽しい気分も味わえるものではありません。むしろ辛い。

 

 

そんな中において、人は明るい未来を想像することは難しいです。

 

 

でも、こういった状況下においてこそ雰囲気美人の存在感は増します。

 

なぜならば、この低いコンフォートゾーンを超えた、明るくて、楽しい未来を、周りの人に想像させるからです。

 

 

 

こんなことを書くと、なんと!大それたことだと思うかもしれません。『わたしにそんなことができるの?』と疑問に思うかもしれません。

 

たしかに、ここに至るまでは多少の練習は必要です。また最初は周囲から理解されないかもしれません。

 

とはいえ理解されることは不要です。

 

 

もっとも、やがてはスゴイ人になるでしょう。

 

 

 

でも、やってみるだけの価値はあります。

 

まず、あなた自身が周囲の顔色を気にしなくなるので、ストレスから解放されます。いろいろな囚われからも解放されるでしょう。

 

 

どちらにせよ、抽象度を上げて、今のあなたが浸かっているコンフォートゾーンから、より高いコンフォートゾーンへと上がっていく必要があります。

 

社会のコンフォートゾーンの中に安住するのは安心です。人は社会的動物なので、群れで行動したがります。

 

でも一方で、人間は脳が進化してしまった生き物でもあります。ゆえに、ここに浸っていると不満を覚えます。

 

もっと上に行きたい、もっと別の世界に上がりたい。それが人間なのです。

 

 

たとえるなら、生まれてからずっと田舎に暮らしている人が年ごろになって、都会に出たいという感覚と似ています。

 

一度、田舎から都会にでてみて別の世界に気が付けます。また田舎の良さも気がつくことができます。

 

両方を知ることで初めて、無限に広がっている可能性世界に気が付けるのです。

 

それは、あなたが今よりもより良い人生を生きるという意味であり、あなたの周囲の人も素敵世界に連れていけるということ。

 

 

それがあなたに託された役割です。

 

 

具体的な方法はまた次回以降の記事にアップします。