混迷の時代を生き抜くためのヒントは人間関係を大切にすることです。
お金がからまない人間関係を大切にする。
こういった関係がもてる人が2~3人いるだけでも違います。
今は昔と違って人間関係が希薄化しています。近所や地域のコミュニティも衰退しています。
孤立が社会問題として取り上げられる時代です。
この人間関係について詳しく書く前に、現代社会とお金との関係について書きます。
同時に、昔と比べて進行したのが拝金主義、いわゆるお金教です。
これはお金が神で、そのお金をたくさん持っている人が崇めたてまつられる主義、控えめにいって宗教。
ゆえに、お金をもっていれば、他人から尊敬され、人が集まってくるので孤立は回避できるような気がするかもしれません。
ただし、SNSでの『いいね』みたいに、表面上だけ孤立を回避できているのかもしれませんが・・・
このお金主義、もしくはお金教が勢力を伸ばしてからは、何をするにもお金が絶対だと思われるようになりました。
確かに、スーパーで野菜を買ったり、電車に乗ったり、日々の生活にお金は欠かせません。
むしろ、お金を必要としない生活を送るのは相当な覚悟をもたないといけません。
ただ、この15年くらいで、人々のお金に対する態度が度が過ぎてきました。
それ以前、お金は暮らしに必要な道具といったポジションでしたが、近年はそれ自体が崇め奉られる存在に昇格しました。
そして、お金がある人であればあるほど、偉い人だとみなされるようになりました。
誰もがこの神の恩恵に預かることができればいいのですが、現実はそうではありません。
資本主義という制度を採用している以上、必ず少数のお金持ちと大多数のそうでない人との格差が生じます。
後者の大多数の人々が、お金がないために、将来への希望がもてず、不安をいだいています。
かつお金がないために、自分は劣った人間だと思い込んでいます。
理由は、飢えに結びつきます。
人間は長い間、飢えの恐怖に苦しんできました。
この恐怖は人々の無意識に埋め込まれています。
一方で、人間は脳が進化して、お金という抽象的な概念を発明しました。
無意識に埋め込まれた飢えの恐怖が、お金が欠乏することと結びついています。
人間はお金を失うことに、強烈な恐怖を覚えてしまいます。
そして、お金がないことは劣等感や低い自己評価にも結びつきます。
こういったときに人間は洗脳されやすい。
洗脳とは、これらの言葉が、第三者の意図によって、当人にとってのリアルになってしまうことです。
・お金が大事だよ
・お金がないとあなたの将来大変ですよ
・お金がないとあなたの存在価値はありませんよ
これらの言葉を第三者からあびるたびに、それが本当のことだと思い込まされます。
そして、この第三者もまた、誰から同じことを言われています。
こうやって、お金が神として崇めたてまつられる世の中がつくられるのです。
さかのぼれば、お金で支配をたくらむ人たちがいるということですが、この件は本題からそれますので、今回はパスをします。
続きは次回