先日、ブログで紹介した私の地元の友人(仮に女史としておきましょう)の変化も凄まじいです。
※E女史についてはhttps://goo.gl/dkPn9w
と言いますのは、昨日、彼女の書いたブログを拝見いたしましたところ衝撃を受けました。
この方のブログは、女性らしく緩やかでたおやかな印象でした。
しかし、大周天講座の後から様子が変わってきました。
以下は、ご本人の実際の記事です(許可を取って引用しました)
~以下引用
なんとも言えない虚脱感。
〇〇さん
と
〇〇さん
の
公演後は
いつものことなのだが
今日は、いつものそれとは少し違う。
公演中にも、雷が落ちる音が使われていたが、実際に雷に打たれたかのような感覚。
すぐに電車には乗らず(正確には、乗れず)近くのカフェで頭と気持ちを整理している。
公演は
日常ではほとんど包まれることのなくなった
暗闇の中始まる(舞台のこの瞬間が好きだ)
会場が一瞬の静けさに包まれた後
ぼんやりとした光に
〇〇さんの顔だけが照らされ
公演ははじまった
強弱変化する風の音
リズミカルな時計の針音
雷の音
荘厳な楽曲
ダンスミュージック
様々な楽曲が色を変え音を変え会場を包み込む
(楽曲の説明が下手で申し訳ない)
それぞれによって
変化する
〇〇さん
と
〇〇さんの
からだ
微細な動きからダイナミックな動き
スピーディーな動きから超スロー映像のようなスローな動き
縮むからだ、ひろがるからだ
公演を観ていて
いつも思う
こんなにもからだは自由なんだと
意思を持って動けるものだなのだと
しかし
ずっとみていると
意思を持って踊っているのか
ただからだが動いているのか
分からなくなる
ときには音楽と同一化してみえる
音楽のエネルギーで
踊っているようにみえる
からだの動きが繋がっていくようにみえる〇〇さんの動きをみていると
エネルギーの繋がりと動きをみている感覚に陥る
ときに宇宙を感じたりもする
踊りの中に
意識と無意識の行き来が
見え隠れする
見る度に
凄みを増していかれる
おふたりのダンスに圧倒され
公演は終えた
以上 引用終了
いかがでしょうか?
文体から気合を感じませんか?
E女史は雷に打たれたと述べていますが、読み手である私たちも被雷しました。
気合とは臨場感です。
これはどういうことか?
苫米地博士は気合とは臨場感と述べています。
以下引用
著者がその本に対して込めている気合は、まさに臨場感の強さからです。その臨場感の強さが(・・・中略・・・)一般の読者へと伝播するのでしょう。
(・・・中略・・・)
著者の臨場感の強さが伝われば、『この小説はおもしろそうだな』というのが読者に伝わっていく。
一瞬で相手をオトす洗脳術 禁断の「一目ぼれ」テクニック P30
また個人的には文章には書き手の生命エネルギーが内包されると考えます。
言葉はあくまでも全体情報の一部、その行間に、全体の情報が垣間見れ、エネルギーも宿ります。
専門的な説明は省きますが、抽象度を上げれば、生命エネルギーも高まります。
また、書き手と読み手の心理的な場の共有度合(臨場感空間の共有具合)によっても、情報伝達に差異が生じます。
場の共有度合が高ければ、高いほど臨場感も増します。
私とE女史は旧来の知り合いで、良く情報交換をしています。なので、心理的な場の共有状態は高い、それゆえ、彼女のエネルギーの増強が無意識レベルでひしひしと伝わってきたのです。
実際に、E女史より『自分の道が見えてきた』というメッセージを受け取りました。
この『自分の道が見えてきた』とは、抽象度の一段高い所から、自分が進むべき方向性が見えた結果なのでしょう。
進むべき方向性がゴールのコンフォートゾーンでもあり、エフィカシー(ゴールに対する自己能力の自己評価)が高まった証拠です。
実は私にも同じような経験があります。
2年くらい前に、コーチ仲間から、『ある時から急にブログの威力が増した』という感想を頂きました。
その時は自分でも良く分からなかったのですが、今振り返ってみるとコーチングを受けて『抽象度』が引き上げたタイミングと重なります(ゴールが一新されたタイミングとも)。
このように抽象度が上がると発する情報に如実に変化が表れるのです。
発する情報とは、SNSに文章やYouTube のみならず、その人の在り方(自己イメージ)も含みます。
最後に、余談ですが、E女史のところに、かつて私が恋愛相談に行く方でした。しかし、そんな私が今や、恋愛のゴールも含めた、女性へのコーチングを展開しています。
これも抽象度が上がって、私の自己イメージが変わった結果を如実に表しています。
※アイキャッチとE女史は違う人物です