情報空間の縁起を感じた話

情報空間の縁起を感じた話

先日ある有名なJazzシンガーのライブに参加しました。

この方の歌声を共感覚で楽しんできました。

・歌声が緑のアビエントな形状をしており、時折オーロラに見える

・触ると弾力性がある

・周囲で鳴いている鈴虫の音色が金色で、刺さる感じがする

など。

共感覚訓練の成果の表れです。

で話は共感覚についてではなくて、情報空間の縁起でした。

ライブ会場で、約2年ぶりに顔を合わせる人がいました。

昔は良く話す中だったのですが、今回は黙礼をしただけでその他は接触しませんでした。

別にこちらから話しかけようともしませんでしたし、相手からも同じようでした。

正確には、出会いがしらに、相手から前の呼び方で呼ばれたけど、私の臨場感が低いために黙礼だけで終わった。

この瞬間に、その方の無意識が間違いなく見えました。と言っても物理である体への表れと、それよりも一段高い抽象度の感覚で分かるのですが。

相手からみたら知っている斎藤貴志はいなかったのです。

例えば、コーチングに最初に取り組んだ時には、みんなの知っているあなたとを取り戻そうとドリームキラーが表れます。突き抜けてしまえば、誰も追ってこなくなります。

また物理空間は情報空間の写像。

ということは情報場で場を共有していない。

正確には、ライブを見に行くと目的でライブ情報場を一瞬かすめた。

だから物理に具現化したけど、既に情報空間における場を共有していない。

ライブ中は狭い会場だったけど、物理空間の場の臨場感を共有することはなかった。

正確には、お互いに認識すらしなかったのかと考えます。

また情報場を共有していない人とは、この狭い松江市でも顔を合わせることがありません。

もしかしたら視界に入ることもあるかもしれませんが、重要ではないのでRASのフィルターにより外れている。

認識できないと存在しないと同じ。

さらに抽象度を上げると、重要ではない人は目の前の世界に投影されない。

いやいや相手から飲み会等で誘われることがあるだろうと思われるかもしれません。

しかし、情報場を共有していない人からは基本誘われることはないし、コンフォートゾーンから外れているから誘いに応じることはありません。

一方で、物理次元で、なかなか会わない人(海外在住者や遠方居住者)でも、情報空間を共有している人とはSNS等で頻繁に連絡を取り、その存在に臨場感を感じます。

そりゃそうです、物理で毎日会っている人でも、重要度が低ければ臨場感の共有は低いままです。

こんな感じで情報空間の因果と縁起を感じさせるひと時でした。

情報空間と物理空間のゲシュタルトが出来てから、世界がさらに立体的に見えるようになりました。

皆さんもぜひ体験されると面白いと思います。

情報空間を操作して、バンバン物理空間を変えてみてください。