奇跡のような出会い と 情報空間の因果関係

奇跡のような出会い と 情報空間の因果関係

人生に必要な師はその時々に見つかる。

そんな気がしてなりません。

生きていると、その時々にあまり望ましくない、時には絶望と感じる出来事に遭遇することがあります。

全く先が見えない。前が見えない、霧の中に取り残された感じ。壁にぶつかり、傷だらけになってしまう。その痛みゆえに、動けなくなります。

だけど、そんな時に限って道を開いてくれる人が表れます。

途方に暮れる私たちに、違う世界の可能性を見せてくれます。

私も何度も、然るべきタイミングで、そんな師と出会い、学ばせて頂いてもらっています。先日も泣かされました(笑)いい意味で。

その人たちはこの暗闇を抜け、未来に突き進むエネルギーを与えてくれる。私たちが、潜在的に持っている何かに明かりを灯してくれる存在です。

なぜそういった方々が表れるのか不思議に思っていました。なぜこのタイミングで・・・。

しかも、私の場合、田舎に住んでいるにも関わらず、なぜ世界に点在している人々と繋がれるのか、不思議だ・・・と。

ある時気が付きました。『あつ、抽象度』だと。これは頭で理屈は分かっていましたが、先日、古墳で気功の練習をしていたら体感として落ちてきました(笑)。

抽象度をあげて考えてみれば、低い抽象度ではランダムに起こったと思える出来事も、高い抽象度から見れば規則性があることに気が付けます。

例えば、なぜ仕事で同じ失敗を繰り返してしまうのか?転職をしても同じような人間関係で悩み、また転職を繰り返してしまうのか?

抽象度を一段上げてみれば、『本当はやりたくない仕事を我慢しているだけ』という構図が見て取れます。その悩みが人間関係にすり替えれられていると気が付けます。

そもそも好きな仕事であれば、人間関係がスコトマに隠れて気にならないでしょう。辞めろと言われてもどだい無理な話です。

さらに、一段、一段と上がっていけば、悩みは自分のマインド(脳と心)が生み出している。

とすれば、『悩むのをやめればいいや』と思いつきます。悩みを消すなんて俄かには信じられないかもしれませんが、高い抽象度においては操作可能です。

また私たちが場感を覚える物理空間は抽象度の一番低い次元。

その上に情報空間が広がり、じつはこの情報空間が正で、物理空間は情報空間にぶら下がっている写像。情報空間の因果として物理に表れています。タイムラグはあります。

この考えに基づけば、今目の前に現れた師は、情報空間の因果が生み出した関係。では、何がこの因果を生み出したのか。

その一つがゴールであり、さらに言うとそこに進もうとするマインド。

マインドがアクセスした(つくった)情報空間にあるゴール情報場から師との関係性や世界が生み出されて、物理に表れていることに気が付けます。

同じ状況がいつまでも続くという方は、現状維持がゴールなのかもしれませんが・・・。

上にも示した通り、それは今住んでいる場所や立ち位置は関係ありません。

ゴールを設定すると、その情報場から繋がる縁起が繋がりはじめます。

アファメーションやビジュアラーゼーションは情報空間を書き換える方法とも捉えられます。

同じく、物理空間では物理空間でしか働かない法則があります。行動がそれに当たります。

願っているだけで叶うという法則を聞きます。

確かに、そんな場合もあるように見えますが、脳が全ての情報を処理するとパンクしてしまいます。必要でない情報はシャットアウトしています。

願っているだけで叶ってしまったという人の大半は、無意識に望む世界に向けての行動が、シャットアウトされてスコトマに隠れています。

しっかりと、然るべき行動をとっています。ただ意識に上がっていないので、後から振り返ればマジックに感じられるのです。

(※シンクロニシティのような偶然の出来事に関しては、情報空間の因果を考えれば分かるでしょう)。

後から振り返ればゴールまで一直線になるように記憶の辻褄を合わせています。場合によっては記憶も改ざんしています。

そうでないと辻褄が合わないことが多く、認知的不協和で頭が爆発していることでしょう。脳という物理器官の計算量が間に合わないハズです。

情報空間での因果を意識しながら、物理で行動していけば、より臨場感が高まります。この世は臨場感勝負です!

ときどきに表れる師は、その臨場感を思い出させてくれる存在。

その師すら、私たちのマインドが生み出しているのですから。