なぜ、日本中の女の子たちが安室奈美恵さんに熱狂したのか?
私がここで紹介するまでもありませんが1995年、安室奈美恵さんの『TRY ME』をかわきりに、その後にリリースする『Chase the Chance』、『Don’t wanna cry』、『CAN YOU CELEBRATE?』」などの曲が次々と大ヒットしました。
高い歌唱力と、今までに類をみない切れの良いダンスで、連日テレビの音楽番組に引っ張りだこ。
とくに1996年はブームが最高潮に達して、片田舎の中学生にもその名がとどろいていました。
なぜならば、当時は『テレビをつければ安室、ラジオを聴けば安室、給食の時間のお昼の音楽もやっぱりNamie Amuro!』といった具合に、クラスの話題も安室奈美恵さんが席巻していました。
クラスメイトに安室奈美恵さんのファンの男子がいて、その人の話を聞いていけば情報を追うことができました。
その男子生徒は安室さんがブレイクする以前は、クラスでも地味な存在でした。
けれども、安室さんがブレイクした後は、なぜかその方のクラスにおけるポジションも株価が上がるがごとく上昇していました(笑)
安室奈美恵さんをプロデュースした小室哲哉さんのTKサウンドなんていう言葉も流行っていましたね。
さて、本題はココからです。
クラスの女の子たちの一部の恰好が、少しずつですが安室奈美恵さんに似てきました(笑)
そして、彼女たちが持ち物検査で没収される雑誌にも、やはり安室奈美恵さんがヒューチャーされていました。
ちなみに、クラスの女子達はピチレモン、ポップティーンなどを読んでいましたが、裏ではエルティーンという雑誌を所持していたことを知っています(笑)
さて、当時の島根県中の高校生のスポットであった松江駅やサティ(現イオン)に赴けば、安室奈美恵っぽい女子高生がそれなりにいたような気がします。
そろいもそろって、ミニスカート、ルーズソックス、ちょっと茶髪&細い眉といういでたちでした。
これに日焼けと、厚底ブーツを加えれば、本場の東京渋谷でデビュー可能だったかもしれません。
余談ですが、私が初めて渋谷を訪れたのは2001年。センター街の店で記念に8,000円くらいでシャツを買いました。
『シャツが8,000円もした。渋谷はなんて怖い街だ!』と思ったものですが、その15年くらい後に、ほぼ毎月、そのあたりに赴いて、しかもセミナーもするなんて夢にも思っていませんでした。
※コーチングでは、コンフォートゾーンの移行といいます
もっとも安室奈美恵さんは中学生や高校生のみならず、大学生やOLさん達の間でも流行っていました。
むしろ、こちらの女性の方が本当の意味で、安室さんに心酔していのでしょう。
その理由は、続きで