あの人に裏切られた。
損をしてしまうという。
エネルギーを奪われてしまう。
相手ばかりが得をして自分ばかり損をする関係。
人間関係において、このように考えてしまい自分を惨めに捉えてしまう場合があるかもしれません。
私も過去にその様に捉えたことがないとは言いません。
しかし、ある時気が付きました。
外に起こり得る現象は自分自身の考え方の投影。
ということは、外の世界で嫌なことが起こるのは、自分自身に思い当たる癖があり、それが具現化しているだけではないのかと。
良くある相談が、クレクレ君の対応に困り果てる人のケース。彼らはこう言います。「みんなが私のエネルギーを吸い取ろうとする」と。
しかし、往々にしてこの場合は自分自身が無意識の奥底で誰かのエネルギーを吸い取ろうとしている、あわよくばという魂胆があるケースがほとんどです。
言い換えれば、取るか取られるか、奪うか奪われるかという抽象度で世の中を見ているから、その人にとっては世界がそのようになってしまうのです。
類は友を呼ぶと言いますし。
また良く『引き寄せの法則』と呼ばれますが、実際には、無意識の底で望んでいることを引き寄せているでしょうし、相応しい出来事が引き寄せられています。
とは言っても、人類の多くが、その様な抽象度なので戦争もなくならないわけですが。
ともすれば、奪う奪われるという抽象度を一段上げて、どちらでも良い。むしろ、与えていくという次元にしてみるとまた違って世界が見えます。
見返りを求めずに与えていくということです。
こう考えると、なんだか損をした気分になるかもしれません。
しかし、実のところエネルギーは循環するもの。出したものが回りまわって返って来ます。
個人的な体感として、マイナスなエネルギーを向ければ、跳ね返って来ます。またそれに同調する人や出来事も集まって来ます。同じく、自分からそちらに向かっているのかもしれません。
プラスのエネルギーを発すればやがてまた自分に返って来ます。なお、マイナスのエネルギーを出しても、途中でプラスに転換すれば打ち消されます。
抽象度を高く見渡せば、エネルギーは大気のように循環します。世の理です。
とすると、『与えること』は、言い換えれば、『受け取ること』。抽象度を上げてみると同じことです。
受け取ることが苦手な人は、『自分なんかにはもったいない』という自己イメージがあります。この自己イメージも変えていく必要があります。
奪う、奪われるという段階から抜け出すヒントは、与え上手、受け取り上手にあります。