ある場所で勉強を教える際に、
ある子どもに、何事も『自分は出来る』『自分を褒めて』取り組んでみたらとアドバイスをしました。
その生徒を仮にA君とします。
A君は完璧主義的な傾向があり、その裏返しで何ごとも整っていないと不安を感じるようです。
受験に関しては、既に合格点を叩き出していますが必要以上に不安のようです。
さて、A君は『自分は出来る』『自分を褒めて』という考えを保護者に披露したそうです。
そうしたら何と!
その様な考えだと図に乗る、調子にのる慢心を生む、受験に落ちると注意されたそうです。
親御さんとしては、いかなる時も厳しく、我慢をして、耐えることを教えたかったのでしょう。
いつでも油断をせずに、子どもには貧欲に進んで欲しかったのかもしれません。
今の社会においても、そのような考え方の方が主流です。
保護者さんの意見は常識的な回答かもしれません。
その手の精神論的な本は今も昔も人気です。
ただ、『注意しなければならないのはその人の場合は、たまたま上手く行った』だけの可能性もあります。
さて、そのような考え方では、自分は常に何かが足りない、出来ないという点をばかりに焦点を向けるようになります。
何かに意識を向けることを、コーチングではロックオンと呼びます。
ある部分にロックオンをしてしまったら、他の良い所はスコトーマが掛って見えなくなります。
悪い点ばかり、目につくようになる。自己評価も下がり、それこそ何かトラブルが起きた時に乗り越える力が弱くなる。神経症などを引き起こす可能性も危惧されます。
また、自分の悪い点を他人にも投影するだけなので、人間関係にも軋轢を生じるようになります。
残念ながら、このA君の親御さんには、これらの点が見えていないようです。
さて、出来ると思って取り組むということに関連して、生徒に以下の質問をしてみました。
斎藤『サッカーの本田選手は、PKを蹴る際に自分はできると思って望んでいると思う?』
『それとも自分には無理だと思って、蹴るなら他の方どうぞと思って望んでいると思う?』
A君『自分がPKを決めたいから蹴るんだ』『彼は蹴りたいから蹴っている。だからあんなに活躍できる』
斎藤『一方で、やらされていたらどう?』
『例えば、どうしても学校に行きたくない場合はどうする?』
A君『仮病を使う、学校に行きたくない時に限ってお腹が痛くなる』
そこで、本田選手の話に戻します。
斎藤『本田選手がサッカーをしなければならないで取り組んでいたら、どうなると思う?』
A君『怪我をして引退かもしれない』
『なるほど、何々したい~そして部分は出来ると思いながら取り組んだ方が効率が高いね』
斎藤『テレビゲームをするのは、したいからしているの?それとも誰かにしろと言われてしているの?』
A君『したいからする』『例え、ゲーム機を隠されても、絶対に見つけ出す』
そのくらい自信があるようです(笑)
斎藤『A君はなぜ勉強をするの?』
A君『高校に行きたいから。そっか、~したいに意識を向ければ勉強も楽しい、受験も楽しめそうだ』
こんな感じで何かを掴んでくれたようです。
私としては、A君の成績よりも自己評価を上げる事に注視しています。
成績はそれに伴って上がっていきます。
自己評価は大切です。