前回はセルフエステーム『自分の価値を認めること』についての記事を書きました
とかく私たちは、他人から認められたいと思いがちです。それゆえに、セルフエステームが低いと、他人の評価=自分の価値と決めつけて考えてしまいます。
このような考えだと、自分にないもので外堀を埋め合わせようとする癖がつきます。
この癖こそが、前回説明したハビット&アティチュードです。
例えば、
・良い自分を魅せたくて、本当は欲しくないけどブランド物を追いかける
・パートナーもアクセサリーとして選ぶ
・他人の幸せそうな話を聞くと、自分が責められているような気がしてマウンティングをしてしまう
このようなハビット&アティチュードを繰り返していくと、やがて以下のような信念(ブリーフ)を強固にします。
ハビットも&アテチュードも過去に経験した情動記憶に基づいています。ゆえに、ハビット&アティチュードを繰り返していくと、その記憶を強固にしていきますので、信念も強固にしてしまいます。
ブランド品には価値があり、それ以外には価値がない。自分自身がブランドにならないと評価されない。だからもっと頑張らないといけない。
私は彼がいるから幸せ、評価される。裏を返せば、素の私では評価されない。だから、もっと頑張らないといけない。
自分より幸せそうな人は許せない。自分はいつも他人に勝っていなけれなならない。勝つためにはもっと頑張らないといけない。
人間は自分の信念に基づいて行動を取ります。というか信念以外の価値観はすこトマト(心理的盲点)に隠れてしまいます。これが自分の知っている世界や価値観が絶対に正しいという信念をまた生み出します。
仮に、この信念から外れた場合はどうなるでしょう。
例えば、ブランド企業に勤めていて、リストラで会社を離れざるを得なくなった場合に、『自分の人生は終わった』と折れてしまう人がいます。何らかの精神疾患、最悪は自殺に繋がる可能性もあります。
彼がいなくなったら、友達に対して優越感を覚えられなくなる。カッコいいパートナーとして自慢できなくなる。そうなると怖いから別れられない。
パートナーを繋ぎとめることに執着して、それが過ぎると、感覚がおかしくなります。モラハラや暴力を受けたり、望まないセックスを強要される、いわゆるDVを受けても、その異常に気が付くことがありません。
その時は『彼は私のことを愛していてくれるから手が出るんだ』という信念が形成されており、異常事態をスコトーマに隠してしまうからです。
この人には勝った安心から、あの人には負けた。出来事に一喜一憂してしまうので、感情のジェットコースターを味わい、疲弊に繋がります。
また、自分よりも優れたと思う人から意図的に遠ざかります。出会いは成長をもたらしてくれる可能性がありますが、その機会を不意にしてしまいます。
加えて、相手のセルフエステームを下げる行動を取ってしまうこともあります。相手のセルフエステームを下げることは、結局は自分のセルフエステームを下げることに繋がります。
そして、ここが大事ですが、上記のことに共通していますが、そうならないためには『頑張り続けないといけない』という強迫観念を抱きます。この強迫観念こそが信念です。
強迫観念レベルの信念は、心身に多大な負担を強います。
『私は痩せていないと評価されない』この信念が強固だと摂食障害を引き起こします。痩せてない自分は周囲から受け入れられない、そんな自分は私も受け入れない。またはその逆も然りです。
セルフエステームが大きく低下して、こうなると自傷行為や犯罪に走ってしまうこともあります。
また、強迫観念が、緊張を強いるので身体の疲労も著しいです。一日の大半を寝て過ごす羽目にもなります。抑うつ傾向も帯びてきます。
では、この信念を変えていく方法についてお話しします。
それは言葉を変えていくことです。
このブログでもたびたび申し上げていますが、私たちは言葉の世界に生きています。この言葉が概念を形成しています。
私たちのマインドは概念に対して(ホメオスタシス)フィードバックを取ります。これは先に説明したハビット&アテチュードと信念の関係そのものです。
『しなければならない』という言葉を『した方がいい』に置き換えるだけでも効果があります。
言葉に連動して信念が変わっていくからです。
言葉を『した方がいい』に置き換えれば、仮に『しなければならなかった』ことが成されていなくても感じる心理的抵抗、罪悪感は大きくありません。
セルフエステームの低下という悪影響も受けにくく、心に余裕が生まれます。
心に余裕が生まれれば『したい』という欲求や『好む』という気持ちが芽生にも繋がっていくのです。
『したい』や『好む』こそ、コーチングで言うwant toであり、セルフエステームの向上にも繋がっていくのです。