軍艦『名取』短艇隊前へ 極限下におけるマインドサバイバル 


私が中学生の頃に、知ったとても印象深い話があります。

 

軍艦『名取』沈没ス

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※軍艦『名取』

戦時中の実話です。

昭和19年8月18日、1隻の日本の軍艦(乗組員600名)がフィリピン群島サマール島沖600キロの地点で、敵潜水艦の攻撃を受けて沈没しました。

 

その軍艦の名前は『名取』と言います。

名前は宮城県を流れる名取川に由来します。

 

幸いにも、沈没したその船から約200名が3隻の救命ボートに乗り移りました。しかし、遭難した場所はフィリピンのはるか沖合、ボートには食料が不足しており真水もほとんどないという絶体絶命の状況にありました。

 

遭難者のほとんどは助けられるまでに多くが海面を漂ったり、船が沈没した際に油を飲み込んでいたりして体力を消耗しきっていました。

 

航海に必要な地図や道具らしきものは何もありません。各員が身に付けていた腕時計でさえも、当時は完全防水ではなく全て壊れてしまいました。

 

おまけに、この救命ボートは手漕ぎです。

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※救命ボート(短艇) 名取の短艇ではありません

一般的に、遭難時においては救助隊が捜索にきたり、また付近を走っている船に発見されて助かる確率が高まったりするので、大人しく遭難現場で救助を待つのが常識です。

 

しかし、この時は戦場の真っただ中。劣勢に立たされていた日本の救難部隊が捜索に駆けつけてくれる保証はどこにもありませんでした。また、駆けつけてきても大海原で、救命ボートが発見される確率もきわめて低い。

 

今の私たちの価値観とは違い、当時の日本人にとって敵の捕虜になるのは全くもって不名誉なことでした。なので、あわよくば優勢であるアメリカ艦隊に見つけてもらおうということは到底考えられません。

 

「誓ッテ成功ヲ期ス」

このような極限の状況下で、遭難者たちは一大決心をします。なんと、この極限の状況下においてボートを漕いで600キロあるフィリピン本島までたどり着くと決めたのです。

 

ボートを漕いで600キロを進むなんて、船乗りの常識から考えて常識外れ以外の何物でもありません。

 

漕ぐと言っても海面が穏やかなのは稀で、8月のフィリピン沖の太平洋は、日中は灼熱の地獄、夜は激しいスコールに見舞われ、それが衣類にベトツキ容赦なく寒い。大時化の時だってあります。

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※太平洋のスコール  

そんな最悪の状況においても彼らはフィリピン諸島がある西に向けて必死に漕ぎ続けました。

 

昼間は暑くて体力を消耗してしまうので、主に夜間に10時間漕ぎ続けました。非常食も不十分で、とても健康とは言えない状況でこのペースです。

また生き残るための方法も各人が知恵を出し合って思いつきます。

例えば、高緯度経度を測る道具はない時は、星座を見ながら腕を折り曲げて角度を測る。風の流れや海流の流れを読んで進むべき西の方向を割り出しました。

 

海軍の学校で習ったこと、逸話で聞いた海洋民族であるポリネシア人の格言、各乗組員の地元や漁師の間で言い伝えられている天気についての格言を思い出し、天候の先読みを行い悪天候を回避していきました。

 

漕ぐだけでは体力を消耗する一方なので、衣服を繋ぎ合わせて帆をつくりました。手元にあるローブと周囲に浮いている角材で応急の錨もつくりました。これはボートが止まっている間に、潮の影響で変な方向に流されないためです。

名取短艇隊

※『名取』短艇隊 帆走、漕走距離と位置

 

「極限の状況でも方法を見つける」

非常食を大切にして食べ繋ぎました。時にはボートの下に就いたカニを取って食べたり、スコールを飲み水にしたりしました。

 

さすがに何日もこのような状況下で漕ぎ続けていけば遭難者たちも不安を感じてきます。そんな中、士官(位の高い役職)も兵員に希望を与えるように明るい話題を提供ました。

このような状況だからこそ、明るい未来を思い描かせることの大切さを理解していました。人間心理は、よくも悪くも頭の中のイメージに向かって進んでいくものです。現状が辛くても、先があると分かれば人間は頑張れます。

 

また、体の痛みや空腹等の物理的な痛みはうつらないけれども、精神的な痛みは伝染しやすいということを心得ていました。

 

士官たちは兵員に対して、軍艦内では上意下達の厳格な指揮命令系統で接していましたが、この状況では臨機応変に、仲間を鼓舞するようなそれまでとは違った指示の仕方に徹しました。

極限の状況下でも、言葉がもたらす影響力を考えての対処でした。

 

 

天は自ら助くる者を助く 

その甲斐があって、端から見れば絶望以外の何物でもない状況下でボートを漕ぎ続けること15日、救命ボート3隻はフィリピンの島の一角に到着、その後無事に味方に発見救助されました。もとよりの体力消耗のため数名の殉職者を出してしまいましたが、多くが助かりました。

 

軍艦『名取』救命ボート(短艇隊)の不撓不屈の精神が奇跡を成し遂げたのです。いや奇跡ではありません。一同が自分たちの意思で運命を切り開いたのです。

 

絶対に生きて帰るという決心が、現実をつくっていったのです。

 

この話からの教訓は、たとえ絶望で困難な状況でも、諦めずに行動を起こしていけば確実に抜け出せるのだということが学べます。方法も見つけながら突き進んでいけるのです。また、投げかける言葉の影響力も学べます。

 

 

最後に

軍艦『名取』短艇隊の叡智と不撓不屈の精神に敬意を表しこの度紹介させて頂きました。このような出来事が引き起こされる戦争が繰り返されないことを祈ります。

 

参考文献

松永市郎(元軍艦『名取』通信長)著 『先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり』 光人社NF文庫


2015-12-05 | Posted in 未分類No Comments » 

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