本当は結構怖い『無料・安い』 お金の本質から遠ざかるアファメーション


『オークリー洋子』さんのブログを読んで大変な感銘を受けました。

 

『値上げするのが怖いのは、まだ◯◯に気づいてないだけ』

http://ameblo.jp/mother-river/entry-12210180921.html

 

この記事であげられていた無料・安いの問題点について考察しました。

 

長く続くデフレ経済のためなのか、無料・安いという言葉が市民権を得ています。

 

インターネットでも、街中でも目を通せば無料・安いという見出しが躍っています。

 

圧倒的な臨場感を醸し出しており、この状況では無料・安いという言葉に惹かれてしまいそうです。

 

しかし、ここで思い出してもらいたいのは自己イメージ。

 

人間は自己イメージの通りに進みましたよね。

 

この自己イメージが無料・安いという方向に力点を置いていればどうなるでしょうか?

 

暗に、無料・安いモノにしか手が出せないという、アファメーションに繋がってしまうのではないでしょうか。

 

本質的に、お金から遠ざかってしまいます。

 

皮肉なことに、無料・安いに飛びつくあまり貧しくなっていく構図で、自分の首を絞めています。

 

この無料・安いはある意味依存症です。

 

サービス残業の蔓延化や過労死に綱がり、顧客も顧客で金払ってんだから何でも聞けよというモラルの低下、ひいては国力の低下につながると懸念します。

 

この依存症に陥ると、自分の収入のレベルを上げようという考えは、まず思いつかないでしょうし、思いついても無理だと否認するでしょう。

 

反対に、自分はリスクを冒さずに、無料もしくは一円でも安く、自分だけは得をして、相手のエネルギーを奪いたいという考えに陥る危険があります。

 

この考えは、リスクを冒したくない人には非常に戦略的に響きます。

 

しかし、お金の『流れ』は、エネルギーが具現化した経路なので、奪い合う所には、お金は留まらない。

また自身のエネルギー値も低いので、当たり前にお金の流れとも縁がない。

同質のモノを引き寄せますから。

 

無料・安いだけが好きな人の周りには、同じような人が集まりその場は強化されていることでしょう。

(情報)場の持つ力は侮れません。

 

なお、ポイントはお金の流れです。お金自体は、モノとモノの交換媒体です。価値は、サービスやモノにあります。

 

 

かつて工業製品を扱う会社で、働いていたことがあります。その製品の部品は、海外製が安いということで、比較的コストのかかる良質の日本製品から、安かろう悪かろうの海外製品に次々に切り替えられて行きました。

 

結果、安かろう悪かろうでは工場のラインですぐに不具合が見つかり流れはストップします。ラインを通過して出荷されても不良品として返品されます。

 

この場合、個々の部品を安く調達したチームは、仕事も早く終わり褒められる。

だけど会社全体としてはラインが停まって赤字を計上、また市場での評判もガタ落ちという結果に陥りました。

 

それでも、上層部の言い分は、コストを安く、空雑巾を絞ることにしか目が向きません。

 

しかし、ある時誰かが言いました。それよりも『売り上げを上げろよ』と(笑)

みんなから本質である『売り上げの向上』という意識がスコトーマに隠れるという危機的状況でした。

 

 

また今の日本が金銭面で貧しくなったのは、あまりにも無料・安いが蔓延り過ぎて、人々の自己イメージが、その方向に書き換わったためではないかと推測します。

 

また人間同士の価値観はホメオスタシスフィードバックにより伝播します。人口密度の高い日本では、単一の価値観が広まりやすい。

 

なので、この20年くらいの間に、無料・安いが一番という考えが急速に広まった感があります。

 

生活に必要なモノがいきわたった現在と昔を単純に比較することはできませんが、高度経済成長時代は、多くの人が稼いで、良いモノを買うと自己イメージを共有していたから、お金周りも良かったのではないでしょうか。

 

もちろん何でもかんでもお金を使えばいいというものではありませんが。それではただの浪費です。

 

価値のあるモノは金に糸目を付けずに買える。そんな自分で在りたいですね。


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