不思議なAmor(愛)と中2病的抽象度からの脱却


最近は私が会いたいと思う人よりも、『この人私に会いたいだろうな』という人に会いに行くようになってきました。

 

かつては、自分のゴールに対してエフィカシーが思うように上がらない時は、エフィカシーの高い人に会いに行っていましたが、今では相手のゴールに対して、私のエフィカシーを必要としているだろうという人に会いにいくことの方が多いです。

※どうしても会いたい人にも会いに行きます。

 

ゴールの更新ゆえか重要性評価関数が変化したのでしょう。

 

と同時に、『ん?この感覚。私の師匠であるとある先生と似たような感覚じゃない』。

 

先生いわく、例えば、雑誌の表紙を飾っている有名人を見て、普通の人は凄いと思うところを、『この人私に会いたいだろうな』と思うらしいです。

 

その発言を聞いて『凄い人だと思うと同時に、中2病だ』と思っていました。

 

抽象度が低いと、上の次元の発想が分からないという典型例です。

 

今振り返れば『がちょーん』です(笑)

 

しかし、最近はこの私に会いたがっているだろうなと思う人は、私が会いたい人であり、私が好きな人は、私のことも好きだという感覚を覚えています。

 

物理空間で出会う人は情報空間での因果により場を共有しています。

 

高い抽象度における次元では、お互いが相思相愛ゆえに、この人私に会いたがっているのかなと感じる今日この頃です。

 

さらに抽象度を上げると私があなたであり、あなたが私で一心同体。

 

別の視点では、もともと同じ単細胞生物が分離して進化した結果と捉えると、そう考えても別におかしくはない。

 

このことについて、もっと多く書きたいですが、言語ではこれ以上表せないというオチです。

 

高い高い次元に不思議なamor(愛)の世界が在るようです。

 

 


2017-05-14 | Posted in 抽象度No Comments » 

関連記事

Comment

コメントを書くにはログインが必要です