なぜあの人の言葉には深みがあるのか? 言霊と影響力の関係


ある女神から頂く、メッセージにハットさせられる。短いメッセージだが、それを受け経った後は、きまって現状が気持ち悪くなる。

 

コンフォートゾーンの移行であり、俗にいう『情報空間で蹴られる』という現象だ。

 

女神によっては『情報空間の鞭で叩かれる』というのもあるかもしれない。

 

それ以上の表現は怖いから止めておく。私は肝が細い。

 

女神とは私が影響を受けた女性コーチのことである。なお彼女らは肝が太い。

 

その女神とのやり取りで、メッセージ自体は短いのだけれども、なぜか納得してしまう。抽象度が上がるために『自分はバカだった』と納得することが多いのはなぜなのか?という点が疑問に浮かんだ。

 

似たような経験にも、自身のブログ記事でも真剣に書いた物よりは、楽しい気分で書いた記事に『いいね』が付く。これも疑問に感じた。

 

また良く在るパターンは、このコーチングをつくった苫米地博士の著作を立ち読みして、そこに何が書いてあるのか意味が分からないけど、なぜか磁場に惹きつけられたという人が多い。

 

この磁場について知りたくなった。

 

その答えは≪外情報≫にある。

 

≪外情報≫とはデンマークの科学評論家のノーレットランダージュ氏の造語で意図的に処分された情報を意味する。

 

『ノートルダムのせむし男』の作者として有名なヴィクトル・ユゴーは。この年。名作『レ・ミゼラブル』を上梓してすぐに休暇の旅に出た。だが、本の売れ行きが気になって仕方がない。そこで、出版社に手紙を書いた―『?』

 

出版社も負けてはいない。真実を少しも曲げることなく伝える返事をした―『!』 

(・・・省略・・・) 

ユゴーがほしいのは単純な答えだ。返事がピリオドだったら、ユゴーの休暇は台なしになっていただろう。 

(・・・中略・・・)

 決め手となったのは伝達さえたビット数ではない。情報を送ったときのコンテクストだ。ユゴーとその出版社にとって、『レ・ミゼラブル』が当たるかどうかは、創刊直後のこの時期、最大の関心事だった。二人の頭はそのことでいっぱいだった。二通の手紙はどちらも、思考、感情、事実など、胸の内を駆けめぐった多くの事柄を象徴している。それは文面になくても、まぎれもなくそこにある。それは、不在でありながら存在する情報だ。この通信文はおびただしい量の情報を示唆している。そうでなければ、意味深長な手紙にはならないだろう。

 

もちろん、これはどんな通信にも当てはまる。言葉を書く前には、かなりの頭脳労働がなされる。そのすべてが言葉として表されるわけではないが、そこに表れていることに変わりはない。実際に通信文に書かれた情報は、大量の情報を示唆している。ただ、その情報が字面に表れてないだけだ。

 ユゴーが描いた疑問符は、明白な形で情報を処分した結果だ。もっとも、ただの処分とは違う。彼は単に忘れてしまったのではない。処分した情報を指示した。しかし、通信文という観点に立てば、その情報はやはり捨てられてしまっている。本書では、この明白な形で処分された情報を≪外情報≫と呼ぶことにしよう。

トール ノーレットランダーシュ (著), Tor Norretranders (原著), 柴田 裕之 (翻訳)『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』紀伊國屋書店  2002/9/1

 

 

外情報はコーチングの観点から言えば縁起だ。

 

例えば、それまでの女神の人生経験や、それに付随する縁起が外情報としてメッセージに内包される。

 

外情報とは捨てられた情報であり、それ自体膨大なエネルギーだ。

 

別の角度で言えば、縁起はエネルギー(情報エネルギー)ということだ。

事実、昔の人は経験則から縁起には力が宿ると知っていた。これを『縁起の力』と称した。

 

情報=エネルギーについては、以下を参照されたい。

 

①『情報をエネルギー変換、初の成功 中大・東大教授ら』

日経新聞 2010/12/5付

 

http://www.nikkei.com/article/DGXNASGG0400H_V01C10A2000000/

 

 

②人間の死は、脳を含む人体としての情報処理機関が停止したときだが、これは生命エネルギーが枯渇したときと同義。つまり、この比喩では確かに『情報=エネルギー』の図式が成り立つ。

苫米地英人著 『洗脳護身術 日常生活からの覚醒、21世紀のサトリ修行と自己解放』三才ブックス 2002。

 

結果、ある人の言葉(メッセージ)に深みが生まれる。

※気功という情報伝達手段にも、外情報が内包されると考える。外情報は非言語の効き目を作用する一要因だろう。他にも、外情報はホメオスタシス同調により、臨場感空間を共有するもの同士、伝達しあっていると推測される。これにより場の共有の効果が説明できる。

 

例えば、女神から『斎藤君 スゴイ』というメッセージを送られれば、単に文字だけではなく、膨大な外情報(エネルギー)が私にも送られる。

 

私たちの無意識は外情報から与えられる情報も知覚している。無意識の処理能力は毎秒1,100万ビットで、これに対して無意識の情報処理はせいぜい毎秒40ビットだと言われている。

 

ゆえに、外情報は意識に上がらない。情報処理が間に合わない。しかし、確実に届いている。だから嬉しく、次の行動へむけてエネルギーが伝わる。

 

反対に、『ダメだねー』というメッセージを頂けば、グサッと来るわけだ(笑) 残念ながら、そこにも、それ相応のエネルギーが含まれている。

 

褒められても、その逆でも自分はバカだったという痛みが伴う。成長には痛みが伴うことを理解して、一喜一憂せずに前に進む。

 

苫米地博士の著作に惹かれるのも、博士の著作の言葉の≪外情報≫(情報エネルギー)によって読者の内部表現が書き換えられるからだと考察できる。

 

以上が言霊の正体だ。

 

 

 

 


2017-06-14 | Posted in 未分類No Comments » 

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