自己紹介


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斎藤貴志(さいとう たかし) 苫米地式認定
最悪に想像してしまう未来を、絶対に最高に変えて現実化させるコーチ

こんにちは斎藤貴志と申します。

過去は関係ないのですが、私という人間を知ってもらうために、なぜ苫米地式コーチになるに至ったのかをお話しさせてください。

さて、このBlogにてご覧になった方もいるかもしれませんが、私はとても劣等感が強く、いわゆるエフィカシー「自分の能力に対する自己評価」もすこぶる低い人間でした。

自分の存在価値を認められたのは他人と比較して、私が優っていると感じられる時だけでした。だけど優越感を感じられるのは、ほんの一瞬で、ほとんどは劣等感だらけでした。

劣っている自分が嫌いでした。自分は劣っているだから他人から認められるには、何か人より優っている点がなければならないと思い込んでいました。この劣等感は変なプライドに繋がっていたと思います。

そんな感じだから思春期の頃には、神経症になってしまいました。劣等感が強いゆえに、その反動で完璧でなければならない、そうしないと他人や社会から認められないという強迫観念を抱いておりました。不安感がとてつもなく強かったのです。

神経症になって、この状態から抜け出したいと思った私は、学校の図書館、公共の図書館、本屋(立ち読み)をしまくって、原因を探し求めました。フロイト、ユングなどの本を貪るように読んでいました。とにかく抜け出したかった。

しかし、知識は身についたけど、全く症状の改善には至りませんでした。むしろ、過去を深堀して、こうなった原因は親の育て方が悪いからだと考えるようになりました。

病院にも行きました。カウンセリングも受けました。だけど、カウンセリングに至っては、セッションの最中は良いけど、すぐに悪い状態に戻ってしまいました。コンフォートゾーンです。

病院で薬も処方されました。確かに、気分は良くなりましたが副作用の方が強かったのです。むしろキレやすくなったり、体重が増えたりキツイことの方が多かったです。

結局、仕事についても神経症から誘発される抑うつ状態のせいで辞めざるを得ないこともありました。夢への道をあきらめざるを得ませんでした。

というよりも、幸せになってはいけないという自己イメージだったので無意識が創造的にダメな自分に引き戻そうとしていました。

例えば、倍率40倍の試験に合格してもしばらくしたら、そんな自分はらしくないと急に体調を崩して辞めたり、次に仕事に就いても、過労で倒れてそのまま退職と相成ったこともあります。

さすがに、あの時は、こんなに一生懸命頑張っているのに何のために私は生きているのだろうと思いました。世の中に貢献できない、オメオメと生き永らえているくらいなら潔く死んだ方がマシかなという思いもありました。

抑うつ状態のために、1年半ほど働けませんでした。医者から命と仕事とどっちが大事かと問われて、即答で「仕事」だと返答しました。本人はカッコを付けたつもりですが、それくらい仕事をして、他人に認められないと不安でした。

 

実家に送り返されて、布団に横たわるだけの生活が続きました。来る日も来る日も将来への不安が、とくに朝方に込み上げてきたのを覚えています。

来る日も来る日も将来に対して悲観をしていた時ある時、苫米地博士が監修したテレビ番組、「明日使える心理学てっぱんノート」という番組が始まりました。苫米地博士のことは、英語の学習で何となく存在を知っていましたが、番組の中で、元祖コーチと呼ばれる故ルータイス氏が登場していました。

コーチングについて、コンフォートゾーン、エフィカシーという言葉を用いて説明していました。説明がとても論理的かつ科学的で、米軍で使用されているという裏付けがあったので、これは本物の技術だと思ったのを覚えています。

 

早速、苫米地博士の本を読んだり、故ルータイス氏の原書を取り寄せたりして読みまくりました。ここに状況から抜け出す鍵が隠れているに違いないと直感で感じました。苫米地博士は、英語の先生ではなく、脱洗脳のプロだということもこの時初めて知りました。

 

そんなこんなで、1年半分が経過して仕事に復帰しました。故ルータイス氏の原書を読んだおかげで英語力がつき、試しに英検準1級を受けたら受かりました。その時培った英語力のおかげで、地元では滅多につけない貿易事務の仕事に就くことができました。

 

そんなある時、ルータイス氏が苫米地博士とともに福岡に来るという情報を得ました。仕事が終わってから夜行バスで向かったのを覚えています。

ルータイス氏はテレビでは演出の都合上、ちょっと厳つい感じでしたが、実際に会ってみてとても優しい雰囲気の方でした。その後、東京で開催されたTPIE®講座に参加しました。

TPIE®を受講したおかげで私の自己評価が高まったのを覚えています。

で、高まるとどうなるのかというとドリームキラーが生じます。友人や両親、とくに近ければ近いほどドリームキラーに豹変します。

「あなたはおかしいよ」「そんなんだっら社会で生きていけないよ」「もっと現実をみなさい」といわれるようになりました。

その時は、友人たちと疎遠になるのが嫌だったので、その関係から離れられませんでした。これの怖いところは、知らない間に同調してしまい、もとに戻ってしまうということです。せっかく、高いお金と貴重な時間を投資して、セミナーに参加しても結局は現実に引き戻されてしまいました。

 

さらに怖いことは、私も誰かのドリーキラーになっていたのです。苫米地さんの理論を知っていても、あれはあくまでも理想論で、現実を見ながら、もっと地に足を付けて生きていこうよとアドバイスをしていたことがあります。低自己評価に逆戻りです。

 

このため無意識が経済的に苦しい方向に進めてしまいました。上で述べたとおり、私は20代の前半に病気になってしまい、経済的に苦しい状況にさらされました。知らない間にお金がないのがコンフォートゾーンになっていたのです。また、将来について悩むこともコンフォートゾーンでした。

 

そんなこんなで転職して、安定した仕事に就き一時的に自分の想像よりはるかに良い状態がありました。こののんびりとした地元では他人から羨ましがられる、しかも好きな仕事でした。そのうち、お見合いでもして結婚でもして、幸せな家庭でもと思っていた矢先の出来事です。

無意識はとんでもないことを選びました。ある時を境に、いやなことばかりロックオンするようになりました。その他の、良い部分は本当にスコトマに隠れて見えなくなりました。結果論に、聞こえるかもしれませんがコンフォートゾーンだと思います。コンフォートゾーンが移行していなければ、どんなに頑張ってもクリエイティブに引き戻されるということを身をもって学びました。

 

また、コンフォートゾーンつながりで、次のような経験があります。安定した仕事に就いていた時に、意識では結婚をして幸せな家庭を築きたいと思っていました。そんなおり、ある女性と仲良くなって結婚を考えました。しかし、これもコンフォートゾーンから外れて無意識がおかしいと考えたのか、わざと嫌われるような行動をとりチャンスを不意にしてしまった経験があります。また周りからお見合いを進められましたが、自分は過去に病気したからというクリエイティブな言い訳をつくって断りました。これは結婚をしたくないという気持ちではなくて、本当に自分には無理だと思っていました。低い自己評価とそえに伴う自己イメージが尾を引いた結果です。

 

両親や親戚も固い仕事に就いていました。幼いころより、固く安定した仕事でなければ結婚をしてはいけない。そうしないと家族を養っていけない、それが男としての責任であるというような風潮で育てられました。なので、そのような考えが頭から離れられなかったというのもあるかと思います。

結果的には、仕事も辞めて結婚も難しい方にもっていくという方向に見事に無意識は動きました。病気で動けず、その後働いても非正規でかつ、賃金の安いのがコンフォートゾーンだったので、本当にそこに戻ってしまった時には絶望を味わいました。どう頑張っても、コンフォートゾーンを書き換えない限り望む結果はありえない。そう確信しました。

その後、苫米地式コーチ養成講座を受けました。選んだ理由は、先輩期の人たちがとても楽しくしていて、私もそうなりたいと思ったからです。皆、過去のことは余り喋りませんが、聞いてみると、私よりもはるかに辛い経験をされた方、絶望すぎて死に場所を求めていたくらいの方が、ものすごく楽しそうで生き生きとされていたので説得力がありました。ここに行けば何かが変わるかもしれない。そう思いました。

また、苫米地博士は、過去に公安警察から頼まれてオウム信者を脱洗脳してきた。世界各国の政府機関から仕事を依頼されている。また、苫米地式を辿っていくとタイス式がある。タイス式は、米国の政府機関をはじめ、米軍に取り入れられている。軍隊は本物の技術しか使わないはずだ。そう思ったのも、選んだ理由の一つです。

講座に通うにあたり、金曜の夜に仕事を終えてそのまま夜行列車に飛び乗って、翌日の朝に東京に到着して、講座を終えて夜に下り列車で折り返すという生活をしていました。ハードに思われるかもしれませんが、その時は必至というかwant toで現実を変えたいという思いしかありませんでした。

講座は、それまでの私の常識を覆すような凄い人たちばかりでした。世界レベルで活躍されている方も大勢いてとても驚いたのを覚えています。

コーチングのセッションで最初は田舎者の俺がこんなところにいてもいいのかなと一瞬思ったりしましたが、コーチから、「そんな人たちに囲まれている斎藤君が一番凄くないかい?」と言ってもらえて、そうか自分は凄いと思っていいのかと思えるようになりました。コーチや他のクラスメイトと場を共有することで、エフィカシーが上がっていきました。ゴールも見つかりました。

それからは、地元でセミナーを行なったり、また県外からセミナーをしてくださいとオファーを頂いたりして、その行動範囲が一気に変わりました。ちょっとそこまでの、範囲が松江市内から大きく広がりました。

講座終了後に、斎藤コーチの変わり具合が半端ないと言ってもらえました。

事実、先輩コーチから初めて会った時(講座を受ける前)は、幽霊に取りつかれているかの如くの印象だったけど、今は全然違うねとのことです。

人間はどんなに絶望に陥っていても未来が見えれば、一気に変わるということを体感しました。

なのでこの経験を活かして、関わるクライアントさんの未来を絶対に良いものに変えていきます。